令和3年2月17日 戯曲「喜劇人類館」観劇(オンライン配信)

 オンライン配信中の戯曲「喜劇人類館」を観劇(視聴)しました。

喜劇「人類館」の一幕:毎日新聞2021.2.16

 明治36年の大阪で開催された内国勧業博覧会において、「人類館(学術人類館)」において朝鮮出身者やアイヌ、台湾原住民(先住民)、アジア人、アフリカ人とともに沖縄県民が琉球人として「展示」され、国内外から批判を浴びました。これを人類館事件といいます。

 戯曲「人類館」は戦後、知念正真氏が書き下ろし、沖縄以外に本土でも上演され、大きな反響を呼ぶとともに、戯曲賞を受賞するなど大変な評価をうけました。

 今回、知念正真氏の子どもである知念あかね氏が制作・総指揮をとり、上江洲朝男氏が演出し、7年ぶりに戯曲「人類館」が上演される予定でしたが、新型コロナウイルス感染症の拡大により観客を入れての上演が難しくなったため、無料にてオンライン配信されることになりました。制作陣も役者さんたちも大変残念なことであり、断腸の思いでの決断だったとは思いますが、全国で幅広い人に観劇(視聴)していただくよい機会であるとも思います。

 戯曲「人類館」は時代設定が様々に変転していくことで有名ですが、今回の「喜劇人類館」でも明治後期の人類館事件でありながら「展示」されている沖縄の男女が戦後の米軍統治時代を語ったり、沖縄戦の描写となり、また現代を思わせるセリフまわしがあったりと、より一層時代設定が錯綜し、初見では状況把握が難しいかもしれせん。

 しかし、それによってこそ人類館に「展示」されている男女(無論、男女を監督する同化主義的言説を振りかざしたり、あからさまな差別・蔑視をする調教師風の男も含め)の表象する「琉球処分」から沖縄戦、米軍統治時代を経て現在に至るまでの沖縄の本質的な状況が浮かび上がってくるのであり、人類館そのものが沖縄であることが見え隠れし始めてきます。

 オンライン配信は今月21日までとなっています。ぜひご覧下さい。

 

令和3年2月13日 「花田家之墓」墓参

 花瑛塾「道統の祖」と仰ぐ故花田瑛一塾長の三十三回忌を間も無くに控え、花田塾長とそのご家族のねむる「花田家之墓」をお参りしました。

 花田塾長は昭和初期の東京に生まれ、私立大学に進学しますが、終戦直後の混乱の時代にあって中途で退学、その後は東京の渋谷で青春を過ごし勇名を馳せるとともに、昭和後期からは千葉の館山に道場を設け、多くの青少年の指導に当たりました。

 これまでも花瑛塾結成の周年や花田塾長の祥月命日にあわせて墓参を続けておりますが、今月で花田塾長がお亡くなりになって三十三回忌を迎えるにあたり、あらためて今後とも花田塾長を仰ぎ、範とし、挺身して参る旨を墓前にお誓いいたしました。

令和3年2月11日 紀元祭・神武天皇御陵遥拝式

 紀元節のこの日、神前にて紀元節をお祝い申し上げるとともに、紀元祭および神武天皇御陵遥拝式に参列しました。

 紀元節とは明治初期から終戦直後までの祝祭日であり、神武天皇の即位をお祝いするものです。『日本書紀』には神武天皇即位について「辛酉年春正月庚辰朔天皇即帝位於橿原宮」とあり、明治6年の太政官布告によって2月11日が神武天皇即位の日「紀元節」とされましたが、終戦後の昭和23年、GHQの意向もあり「国民の祝日に関する法律」の制定によって廃止されました。

 ところが昭和41年、2月11日が「建国記念の日」として祝日となり、「建国をしのぶ日」とされました。また戦前から紀元節を日本建国の日ととらえ、お祝いする向きもありました。

 しかし紀元節は神武天皇即位の日であっても、日本建国の日とすることは難しいのではないでしょうか。日本の建国はあくまでも瓊々杵尊の天孫降臨によるものであり、それは神武天皇即位以前のはるか遠い悠久の昔の出来事であるはずです。

 そうすると神武天皇即位とは「神武建国」ではなく、天孫降臨により建国された日本を神武天皇が中興なされた「神武中興」であり、紀元節の佳き日に神武天皇即位のお祝いを通じて、天孫降臨による日本の建国と、神武天皇即位による神武中興の大業をしのぶという意味での紀元節であり、建国記念の日と認識し直す必要があるのではないでしょうか。

 実際、紀元節制定に尽力した大国隆正や玉松操あるいは岩倉具視といった幕末・維新期の国学者や神道家、政治家も紀元節を建国の日とはしておらず、河野省三や平泉澄なども同様のことをいっている他、そのことは『日本書紀』以降の古代の文献や北畠親房らの中世の思想書・歴史書などにもあきらかにあらわれています。

 他方、歴史学の立場からは、神武天皇即位紀元は讖緯説に基づくものであり、推古天皇9年辛酉正月朔日から辛酉革命の起きる1260年ほど前倒しして設定されたともいわれております。そうすると推古天皇9年辛酉自体が聖徳太子など当時の人々にとって革命の年と考えられていたともいえるのであり、実際に十七条憲法の制定や隋との外交関係の確立など、推古天皇9年辛酉の年とその前後は国家の大変革の時期でもありました。

 神武紀元が推古天皇9年辛酉をもとにするとしても、そのころの国家の大変革もまたある種の建国として、また中興として、しのぶべきものともいえます。

 いずれにせよ天孫降臨による日本建国と神武天皇即位による日本中興、そして推古天皇9年辛酉という国家大変革という建国とその中興に関する様々な歴史と事情を学び、私たちはこれからの建国と中興と大変革へ歴史をつむいでいくべきではないでしょうか。

「国旗損壊罪」新設のための刑法改正に反対する(令和3年1月30日)

「国旗損壊罪」新設に反対する

 先般、高市早苗議員ら自民党の保守系議員グループのメンバーが同党下村博文政調会長を訪れ、「国旗損壊罪」新設のための刑法改正案の国会提出を申し入れ、了承された。

「国旗損壊罪」新設について説明する高市議員らと下村政調会長

 高市議員らはこれをうけ、今後各党に呼びかけ議員立法として国会への共同提出を目指すとしている。

 「国旗損壊罪」新設の動きは、今回が初めてではない。

 平成24年の民主党政権下において、やはり高市議員ら野党時代の自民党の保守系議員グループが中心となり、「国旗損壊罪」新設のための刑法改正案が国会提出されている。しかし同改正案は衆議院の解散総選挙などもあり、審議されないまま廃案となった経緯がある。

 今回も「国旗損壊罪」の成立は、微妙な情勢である。

 公明党も含め与党内には「国旗損壊罪」への疑義が根強く、高市議員らがそもそも改正案を国会提出にまでこぎつけることができるかどうかも不透明である。また仮に改正案が国会に提出されても、現在のコロナ禍の情勢で審議に付されるかどうかも判然としない。前回同様、廃案になる可能性は相当に高い。

 しかし、そうであったとしても、「国旗損壊罪」新設の動きそのものが大変危うく、また愚かしい。

 花瑛塾として「国旗損壊罪」新設にきっぱりと反対する。

「国旗損壊罪」の内容

 今回の改正案の内容も平成24年の改正案と全く一緒である。

 高市議員は月刊誌『正論』平成30年10月号において、刑法で「外国国章損壊罪」が制定されていながら自国旗の損壊を罰する「国旗損壊罪」が制定されていないことを問題視し、「このアンバランスを是正する」と述べているが、まさにその通り「国旗損壊罪」新設のための改正案は、刑法第92条の

外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、2年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。

という外国国章損壊罪に対応し、

日本国に対して侮辱を加える目的で、国旗を損壊し、除去し、又は汚損した者は、2年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。

との条文を新たに定めるというものである。

外国国章損壊罪と「国旗損壊罪」

 しかし外国国章損壊罪と自国旗の損壊を罰する「国旗損壊罪」は、対応関係にはない。

 なぜならば外国国章損壊罪は、刑法第4章「国交に関する罪」に属し、外国旗の損壊による当該国と日本の外交関係の悪化を避けるという保護法益がある。そういうこともあり、外国国章損壊罪には1項に引き続き2項として「前項の罪は、外国政府の請求がなければ公訴を提起することができない」と定めている。

 外国旗の損壊と自国旗の損壊は関連がなく、従ってバランスをとるようなものではない。両者は無関係なのである。

 それでは「国旗損壊罪」の保護法益は何であろうか。

 平成24年に改正案が国会提出された際も議論となったポイントだが、「国旗損壊罪」はこの点が明確ではない。

 高市議員は上掲『正論』で

立法者としての私の意図は(中略)「日本国の威信や尊厳を象徴する国旗に対して多くの国民が抱く愛情や誇りを、せめて外国国旗が保護されているのと同程度には守りたい」ということ

と述べているが、この言をもってしても結局のところ「国旗損壊罪」の保護法益は何なのか、一体誰のために何を守ろうとする罪状なのかはっきりしない。

 高市議員は上掲『正論』において、平成11年の国旗国歌法の制定の際に本当は国旗国歌への尊重義務を条文に加えたかったが、それでは当時の民主党の賛成を得られないため断念した経緯があるという。

 「国旗損壊罪」新設は、国旗国歌法の制定の不備の“リベンジ”とでもいいたいのか。

 国旗国歌法の制定にあたり、当時の小渕恵三首相が国旗国歌の強制は考えていないと国会で答弁しているが、「国旗損壊罪」は国旗尊重の強制であり、それは国旗国歌の強制への第一歩ともいえる。

 このように人々の思想良心の自由や表現言論の自由に大きく踏み込む危険のある法律を、曖昧でいい加減な説明のもと数の力でごり押しさせるようなことはあってはならない。

立法事実は何か

 また「国旗損壊罪」新設には、立法事実の面からも問題がある。

『正論』に掲載された高市議員の論考

 高市議員は上掲『正論』で、自国旗損壊の事例として、平成21年に鹿児島県内で開催された当時の民主党の集会において、2流(2枚)の国旗を切り貼りして急造された民主党旗が掲揚された事例と、平成15年に韓国で開催された「慰安婦」の集会で大きく×印が記された日本国旗の前で民主党議員が演説した事例をあげる。

 前者の民主党の集会で国旗が切り貼りされたことは、民主党側も事実関係を認め謝罪している。国旗を切り貼りするなど当然あってはならず、私たちとしても不適切と考えるし、不愉快である。しかし、これは「国旗損壊罪」にいう「日本国に対して侮辱を加える目的」による行為とはいえない。

 また後者の韓国で民主党議員が大きく×印が記された日本国旗の前で演説したという事例の詳細は不明であるが、よしそれが事実であったとしても、日本国旗に×印を記したことは韓国における韓国市民の行動であり、当然「国旗損壊罪」とは無関係である。

 このように国旗損壊の具体的な事例が存在しないのであれば、「法律を制定する場合の基礎を形成し、それを支えている─背景となる社会的・経済的─事実」といわれる立法事実もないと考える他ない。

 この点においても「国旗損壊罪」新設を認めることはできない。

ジョンソン事件と米国旗

 高市議員は上掲『正論』で「適用違憲の判例あり」と予防線を張りながらではあるが、米国は法律で米国旗(星条旗)への冒涜行為を禁じ、他方で外国旗への侮辱行為は禁じていないなどと、あたかも「国旗損壊罪」を国際的な常識かのようにいう。

 しかし、まさに高市議員が張った予防線通り、米国の最高裁は1989年のジョンソン事件において、反レーガンを訴える政治デモの際に米国旗を焼却したジョンソンが国旗への冒涜行為を禁じるテキサス州法をもとに有罪判決をうけたことについて、国旗焼却は合衆国憲法修正第1条が認める表現の自由の範囲内であるとし、テキサス州法の適用を違憲としている。

 たしかに一枚の布きれという意味での米国旗は、ジョンソンの手により火をつけられ、滅したかもしれないが、ジョンソン事件への対応は米国が自由と民主主義の国であることをあらためて国内外に示し、米国の統合を強めたものであり、そうした米国を象徴する存在としての米国旗は、それまで以上にその色味を増し、美しく輝き、不滅のものとなったといえる。

上塗りされ重ね塗りされ輝く国旗

 日本の国旗も同様である。

 昭和62年の沖縄海邦国体では、沖縄の読谷村に住む男が国旗を焼却する事件が発生した。男は事件について、沖縄戦をはじめ沖縄における国旗の歴史的意味を説いたが、そうした男の主張は裁判においても汲まれ、一審判決でも情状として酌量されたほどであった。

 事件により国旗は焼却され、滅したものの、事件を通じて多くの国民が沖縄戦の悲劇や沖縄における国旗の問題に気づかされ、それにより国旗には沖縄の悲しみや苦しみ、怒り、国旗に対する複雑な思いといった新たな色味が加えられた。国旗は事件により焼却されることにより、より歴史的な深みと重みのある国旗になったのではないだろうか。

 国旗は法律で保護された無機質で人工的なものではなく、否定的感情や肯定的感情の別なく多くの人々から率直な思いをぶつけられることにより、いわば絵画でいう上塗りや重ね塗りを施され、そうすることでその色味は重厚なものとなり、存在感を増し、陰影を富ませ、血を通わせ、象徴性を高めていく。今後、国旗が仮に冒涜行為に遭難したとしても、国旗はそれを上塗り重ね塗りの歴史的材料とし、日本の統合を示す輝きを増すであろう。

 かくて法律論的な意味においても、如上の花瑛塾の思想からしても、「国旗損壊罪」新設を認めることはできない。

 ましてこのコロナ禍である。政治家たちは罰則をもうけて国旗の損壊を取り締まる前に、国民・市民の暮らしを損壊する自らの政治を律したらどうか。

 「国旗損壊罪」新設に反対する。

令和3年1月26日 オンライン学習会「戦争孤児の実態から学ぶ沖縄戦」(沖縄県平和委員会)

 『戦争孤児たちの戦後史 1 総論編』(吉川弘文館)の共編著者であり、沖縄戦研究者として名護市史の編纂などにも携わった川満彰さんを講師とした講座「戦争孤児の実態から学ぶ沖縄戦」(主催:沖縄県平和委員会)がオンライン形式で開催され参加し、川満さんより「沖縄戦で生まれた戦争孤児─戦場の童・艦砲ヌ喰ェ残サー─」と題するお話を伺いました。

講師の川満彰さんの共編著書『戦争孤児たちの戦後史 1 総論編』

 沖縄戦では多くの子どもが犠牲となりましたが、当然生き残った子どもたちもいます。しかし、そうした子どもたちの両親も無事だったとは限らず、少なくない数の子どもたちが戦争孤児となりました。

 彼らは親戚や孤児院に引き取られるなどしましたが、統治者であった米軍は孤児院に食糧の提供はするものの積極的な監督をするわけでもなく、また琉球政府など行政が孤児たちの保護や調査を十分にするわけでもなく、孤児たちは戦後長く苦しい生活を余儀なくさせられました。

 また親戚や孤児院に引き取られることもなく、全くの孤児、いわゆる「浮浪児」となってしまった子どもたちも大勢いましたが、彼らに対する保護や調査も行われず、彼らはやむなく犯罪行為に手を染めて日々を生き抜かざるをえない状況に追いやられました。

 事実、沖縄戦により犠牲となった子どもたちの総数は正確にはわかっておらず、また戦争によって生まれた孤児の総数も正確には把握されていません。こうしたところに戦時下での子ども、あるいは戦後における孤児たちがいかに社会的に軽視されてきたかがあらわれていると思います。

米軍が沖縄戦の組織的戦争終結後にコザ孤児院で撮影したとされる写真(沖縄県公文書館所蔵)

令和3年1月25日 北部訓練場放射性廃棄物問題・辺野古新基地陸自配備問題について情報公開請求をしました

 昨年12月、沖縄県の米軍施設である北部訓練場の返還地で米軍が投棄したとみられる放射性廃棄物が発見されたとの報道がありましたが、報道によると沖縄防衛局はその2ヶ月前の10月の時点で放射性廃棄物の存在を把握し、撤去を検討していながら、現在にいたるまで放射性物質について米軍に照会するとか、土地所有者と協議するとか言を左右にし、撤去に着手していません。

 これについて、コロナ禍でもできる新しい運動を試みるという意味も含め、情報公開制度に基づき、沖縄防衛局に対して同局が保有する放射性廃棄物関連の全ての行政文書を開示するよう請求しました。

 沖縄防衛局が放射性廃棄物の存在を把握した経緯や撤去の検討に関する行政文書、また米軍への照会や土地所有者との協議というならそれに関する行政文書が残っているはずであり、行政文書の開示により沖縄防衛局のこの問題に関する姿勢が確認できます。そのような行政文書が存在していないというのならば、沖縄防衛局の説明は虚偽だったということになります。

沖縄防衛局宛の開示請求書の一部

 また、この日、共同通信および沖縄地元紙により、陸上自衛隊幕僚長と在日米海兵隊司令官とのあいだで、埋立工事がすすめられる辺野古新基地(キャンプ・シュワブ)に陸上自衛隊の水陸機動団を常駐配備し、米軍と共同使用する合意がなされていたとの報道がありました。

 これをうけて防衛大臣に対し、シュワブへの水陸機動団の常駐配備や米軍との共同使用に関し、防衛省内部部局や陸上自衛隊が保有する全ての行政文書を開示するよう請求しました。

 辺野古新基地建設が完成すれば、米軍はシュワブと北部訓練場と伊江島を中心に沖縄北部で演習を繰り広げるといわれています。実際に辺野古新基地には200機ものオスプレイが駐機するといわれていますが、北部訓練場に新設されたヘリパッドはそうしたオスプレイの離発着が可能なものとなっています。

 こうした米軍の動き、また既に陸自第15旅団の部隊が北部訓練場で訓練をしている事実を踏まえると、シュワブに水陸機動団が配備されれば、水陸機動団が北部訓練場で演習を実施する可能性も十分に考えられるのであり、シュワブへの水陸機動団配備は同時に北部訓練場問題にもつながっていきます。

防衛大臣宛の開示請求書の一部

 昨年来よりコロナ禍で運動に様々な制限をしなければならない状況ですが、そうした状況においてもできることを模索していきたいと思っており、今後とも様々な問題について開示請求をしていきたいと考えています。

令和3年1月19日 岸信夫防衛大臣宛要請行動(北部訓練場返還地における放射性廃棄物について)

 昨年12月、沖縄県北部の米軍演習場である北部訓練場の返還地で米軍が投棄したとみられる放射性廃棄物が発見され、テレビや新聞などで大きく報道されました。

 放射性廃棄物の投棄自体問題ですが、この放射性廃棄物が現在まで撤去処理されていない現状も大変由々しいものがあります。

 本件について19日、防衛省を訪れ、放射性廃棄物の撤去処理や投棄の経緯の調査を求めるとともに、放射性廃棄物も含め返還地に投棄されている大量の米軍廃棄物について、米軍に撤去処理の協力をさせるよう日米地位協定の改定を求める要請書を手交しました。

防衛省担当者(右)に要請書を手交

 以下、手交した要請書の内容です。

   ※

  要  請  書

 平成二十八年十二月、沖縄県東村ならびに国頭村にまたがる米海兵隊「北部訓練場」の一部、約四千ヘクタールが米国から返還されました(以下「返還地」といいます)。

 これをうけて沖縄防衛局は、一年程度の時間をかけ、返還地の使用履歴を文献などで調べる「資料等調査」を実施するなどして、土壌や水質の汚染、残置された米軍のものと思われる不発弾や廃棄物などを撤去する支障除去を行い、平成二十九年十二月に返還地が地権者に引き渡されました。

 しかし、返還地では、沖縄防衛局による支障除去完了後も米軍のものと見られる空包や薬きょう、廃タイヤ、ドラム缶など多数の廃棄物(以下「米軍廃棄物」といいます)が発見されている他、米軍廃棄物が残置されていた土壌から有害なポリ塩化ビフェニル(以下「PCB」といいます)が検出されるなど土壌汚染も確認されています(「琉球新報」平成三十一年三月九日の報道など)。

 これら返還地における米軍廃棄物や土壌汚染については、新聞やテレビなどでも報じられている他、返還地が世界自然遺産登録の推薦地に含まれていることから、環境問題としても問題視され、国会審議などでも取り上げられており(平成三十年五月十七日参議院外交防衛委員会での伊波洋一議員と小野寺五典元防衛大臣のやり取りなど)、返還地において米軍廃棄物が残置されていることは、政府としても一定の事実は認めているところです(平成三十年一月三十一日提出の糸数慶子参議院議員「米軍北部訓練場の返還跡地の支障除去等に関する質問主意書」に対する平成三十年二月九日付「答弁書」など)。

 そうしたなか、昨年十月二十五日、沖縄県国頭村安田の返還地内のFBJヘリパッド跡地の茂みから、付近住民(以下「発見者」といいます)が放射性物質「コバルト60」を含む通信機器の機材であるTR管(型番1B63A)十九個を発見しました。また、このTR管に付着していた布もしくは紙のようなものから、PCBが検出されました。言うまでもなく、このような危険な物品の投棄は、関係法令に抵触する犯罪です。

 本件は大きく報道されましたが(「琉球新報」昨年十二月十六日など)、昨年十月六日、沖縄防衛局の指示のもと、FBJヘリパッド跡地に投棄されていた米軍廃棄物であるライナープレートの撤去作業をしていた業者がTR管を発見し、業者からその旨報告をうけた沖縄防衛局がTR管の撤去を検討していたと報じられています(「琉球新報」昨年十二月十八日)。沖縄防衛局は昨年十月にはTR管の存在を認識し、また撤去を検討していながら、二ヵ月以上放置してきたということになり、今少し速やかな対応をとっていただきたかったと残念でなりません。

 TR管が発見された場所の周辺には小川やダムが存在しており、これらは沖縄県内全域をまかなう重要な水源となっています。本件も含め、返還地における米軍廃棄物や土壌汚染の問題は、自然や人体への重大な影響という意味でも大きな問題です。

 そうした懸念も含め、令和元年十一月五日、私たちは貴省に赴き、防衛大臣に宛てて「北部訓練場返還地における米軍の廃棄物について、あらためて調査し、撤去など必要な措置を取ること」との趣旨の要望をしました。

 この要望に対する防衛省からの回答の一部は、「今後も新たに廃棄物等が発見された場合には跡地利用に支障がきたすことがないよう土地所有者及び関係機関と調整し、適切に対応して参ります」というものでしたが、本件のTR管はまだ返還地に放置されたままであり、適切な対応とは言い難いと考えます。

 なお、発見者は、昨年十二月十八日、TR管を含む返還地から発見された米軍廃棄物を北部訓練場まで運搬し、それらを米軍に直接引き取らせました。日米地位協定第四条によると、在日米軍は提供施設などの原状回復義務を免れていますが、本件では米軍が返還地の米軍廃棄物を直接引き取るなど、原状回復に協力しています。

 これらを踏まえ、次の通り要請します。

  記

  1. TR管とこれに付属する米軍廃棄物をただちに撤去し、適正に処理すること。また返還地に同種の米軍廃棄物が残置されていないか調査し、発見した場合は同様に撤去、処理すること。
  2. TR管の投棄にかかる経緯について、米軍に事実関係を確認し、それを公表すること。
  3. 返還地に今なお残る米軍廃棄物の状況や土壌汚染、水質汚染などについて、あらためて広範囲に調査し、撤去など支障除去を適正に実施すること。
  4. 付近住民などが返還地で米軍廃棄物を発見した場合の通報窓口や担当部局を明確にし、関係自治体や住民に周知すること。
  5. 在日米軍が米軍廃棄物を直接引き取っている現状に鑑み、日米地位協定における提供施設の原状回復義務の免除にかかる条項や運用を見直し、米軍廃棄物の撤去や処理について、米軍に協力をさせること。

  以上

 速やかなる対応をお願いします。

令和三年一月十九日

  花瑛塾 塾長 仲村之菊

防衛大臣 岸信夫 閣下

   ※

手交した要請書

 要請に対し防衛省側から、要請の1については跡地利用特措法に基づき土地所有者や関係機関と調整して適切に対応する、2については米側に経緯の確認を行い、米軍の回答次第だが県や村などにどのようなかたちになるかともかく公表する用意はある、5については日米地位協定に基づき米軍に現状回復の義務はないものの、日本側は残された建物や工作物の補償をする義務はないという点で双方の権利と義務のバランスをとっている、などの回答がありました。

 なお要請行動参加者を減らしたり、要請書の読み上げを省略するなど、防衛省側も含め感染症対策を講じた上で要請行動を実施しました。

防衛省側より要請内容への回答などを伺う

令和元年11月5日 河野太郎防衛大臣宛要請書手交(北部訓練場返還地における米軍の行動の調査について)

令和3年1月16日 「児玉家之墓」墓参

 児玉誉士夫氏の命日を明日に控え、児玉氏の眠る「児玉家之墓」(池上本門寺)をお参りしました。

「児玉家之墓」 近くには児玉氏と交友のあった大野伴睦氏や町井久之氏の墓もある

 「昭和の怪物」との異名をとる児玉氏は、右翼の大立者として日本の政財界の闇に息をひそめ暗躍した利権右翼のようにいわれたり、ロッキード事件に関連して脱税で起訴されたことから、米国と気脈を通じ米国の意を呈した右翼のようなイメージを持たれています。

 しかし児玉氏は戦前から右翼運動に挺身し、天皇直訴事件やクーデター事件に関連して逮捕投獄されるなど、筋金入りの右翼人であることに間違いありません。戦時中は軍に協力し、軍需物資の買い付けや特殊任務の遂行などに尽力しました。

 またロッキード事件についても、健康を害し裁判に出廷し自身の言葉で主張を述べることができなかったため、周囲に「早く元通りの体になって裁判に出て疑惑を晴らしたい」と語るなど、表には出ずに埋もれてしまった児玉氏の弁解や事件の真相があったと思われます。

 ロッキード事件をめぐる児玉氏の裁判は、児玉氏の逝去に伴い判決が出ないまま公訴棄却となっており、児玉氏の有罪は確定していません。そうである以上、児玉氏には推定無罪の原則が適用されるべきです。

 ロッキード事件によって米国の意を呈した右翼のようにいわれることについても、児玉氏は早い時期より戦後の右翼の「親米反共」路線以外の路線を模索し、ポツダム体制からの脱却を訴えるなど、体制側について現状維持に腐心するような人物ではありませんでした。

戦時中、深く交わった軍人の大西瀧次郎(中央右)と児玉氏(同左)

 最も影響をうけた本はと聞かれ北一輝の著書『支那革命外史』をあげるほどの児玉氏は、二・二六事件に関連した北一輝の処刑によって日本の革命的な右翼運動は終焉したのであり、戦後の右翼運動は全く別のものであって指導原理を欠いていると、戦後の右翼運動にも厳しい眼を向けています。

 その上で、これからは職業的な愛国運動は必要なく、働く人、一般大衆のなかから自然に勃興し、働きながら国を思うような右翼運動が必要なんだと訴えるなど、非常に穏健で現代的な運動論の持ち主でもありました。

 児玉氏の思想や行動は、先入観や偏見を排し、あらためて掘り下げ、掘り起こし、今に活かしていく必要があるのではないでしょうか。

令和3年1月7日 「葦津家之墓」墓参

 戦前、神道家や実業家として活躍した葦津耕次郎、およびその子で戦後神社界を代表する言論人である珍彦らの眠る「葦津家之墓」を墓参しました。

 耕次郎は明治11年、筥崎宮の神職である父磯夫と母とらの次男として福岡県箱崎の地に生まれ、筥崎宮に奉職し神明奉仕に励み、後には鉱山業や社寺建築業を営む実業家として活躍する一方、朝鮮神宮御祭神論争など神道や神社の見地から時の政治や社会問題に意見するなどし、昭和15年に亡くなりました。

 珍彦は明治42年、そんな父耕次郎と母ナニハ(なには)の長男として生まれ、耕次郎の事業を継いで社寺建築業を営みながら、戦前は戦争に向かう時の政治を厳しく批判、戦後は神社本庁の設立に尽力し、活発な言論活動を展開し、平成4年に亡くなりました。

 耕次郎と珍彦は、戦前より居を構えた鎌倉の地に、耕次郎の妻ナニハ、珍彦の妻テル(照子)に眠っています。

 この日は昭和天皇が崩御された日ですが、珍彦には思想の科学に寄せた「国民統合の象徴」などたくさんの天皇論があり、昭和天皇崩御後に文芸春秋に寄せた「悲史の帝」は大変有名です。また耕次郎にも明治天皇を中心に天皇にかかわる様々な逸話や語録があり、この日に葦津家のお墓をお参りできたことはよかったです。

 なお「耕次郎の妻」、あるいは「珍彦の妻」として、どうしても従属的なかたちで主体性のない存在として紹介されがちなナニハやテルなど葦津家の女性たちにもそれぞれの天皇への思いがあったはずであり、そうしたことも知ることができればよいなと思いました。

【令和2年の終わりに】一年の振り返りと新しい年を望んで

令和2年の終わりに

 早いもので今年も残り一日となりました。

 今年は何といっても新型コロナウイルスの感染拡大に見舞われた年でした。日本だけでなく世界中がこの一年を非常事態下で過ごしました。コロナ禍で亡くなった全ての方々へ哀悼の意を表すとともに、現在コロナに罹患し治療等をうけている方々へお見舞い申し上げます。また医療従事者はじめコロナと戦う全ての関係者へ感謝を申し上げます。

コロナ患者の受け入れ訓練:朝日新聞2020.3.19

 花瑛塾としては、コロナ禍によってあらゆる活動が制限された一年でした。またコロナに打ち克つことが最重要と考え、率先してあらゆる活動を制限した一年でした。

 非常事態において私たちの活動が制限されることなどいくらでも甘受し、率先して活動を制限することにためらいもありません。一方で安倍・菅政権のコロナ対策の不備は目に余るものがあり、積極果敢な街頭行動が求められる局面もたびたび出来するなかでの活動の制限は大変歯がゆく、様々な課題を解決できず、心残りを多数抱えたまま一年を終えることは残念でなりません。

 コロナ禍収束の見通しは立っておらず、年が明ければ心機一転、活動を再開するというわけにもいきません。欧米ではワクチンの接種が始まり、日本でも少しずつワクチンの接種が始まるでしょうが、望む人全てがワクチンを接種できるようになるにはまだまだ時間がかかることでしょう。またワクチンの接種により健康被害等が確認されれば、接種の一時停止もあり得るわけであり、来年以降も当面はこの状況を覚悟しなければなりません。

 とはいえ「高められない時は深める時」ともいいます。

 街頭に打って出ることは叶いませんが、そうであれば思想を深め、時局を見通し、時に厳正批判し、時に建設的な提言をするよい機とする必要があります。特にこうした非常事態こそ、これまでの自らの思想と覚悟が試されるのであり、動揺することなく志操堅固にありたいと思います。

 そのためにも年の終わりに今年一年の国内外の動向と花瑛塾の活動や主張を簡単に振り返り、新しい年の展望を切り開く一つの材料としたいと思います。

コロナ禍の拡大

 昨年末から中国・武漢でのコロナの感染拡大が深刻化し、1月の終わりには在武漢邦人の帰国のため政府チャーター機の往来が始まりました。千葉・勝浦のホテルでの帰国者受け入れといった報道を覚えている方も多いと思います。そして2月には乗客のコロナ感染が確認されたダイヤモンド・プリンセス号の横浜港入港があり、日本全体でマスクが不足し始め、3月の小中高校および特別支援学校等の全国一斉休校、さらには4月の緊急事態宣言発出と事態は続いていきました。

緊急事態宣言の発出について記者会見する安倍前首相:産経新聞2020.6.26

 コロナ禍の拡大につれ、安倍政権はコロナ対策で失政、悪政を続け、統治能力の欠如が露呈していきました。いわゆるアベノマスクや一律10万円の特別定額給付金をめぐる政権の混乱は記憶に新しいと思います。

 言うまでもなくパーフェクトな危機管理はありえません。誰がリーダーであっても非常事態において悪手やミスはついてまわるものです。

 しかし安倍政権は後先を考えないその場の思いつきのような対策を繰り返すことに終始し、対策の効果が不十分であるばかりか、対策が様々な弊害をもたらしながら、その弊害への救済措置が欠如していました。

 例えば先に触れた全国一斉休校は、対策の一つとしてありえるオペレーションであり、必要ならば躊躇せず実施するべきものです。しかし休校により自宅に待機する児童生徒の勉学や食事、あるいは様々な理由で家にいたくない、いられない児童生徒の居場所はどうするかなどについて十分な配慮がないまま実施されてしまいました。その結果、離職や休職など仕事に影響をうけた家庭が散見されました。特に日本は「子どもの面倒は女性が見るもの」といった価値観が根強いため、女性が全国一斉休校の犠牲と負担を強いられたといわれています。

 コロナ対策の原則は、PCR検査の徹底による陽性者の隔離と対人接触の最小化による感染拡大の防止であり、そのためには一定の強制力を伴った市民の行動制限等の措置が必要となりますが、それには当然ながら十分な補償や救済措置が求められます。強制力を伴った措置と補償や救済をセットにすることにより、対策の実効性を高め、また社会の混乱を防ぎ、対策の弊害を最小限に留めることになるわけです。

 安倍政権の打ち出す対策は、この補償や救済の点で特に大きな問題がありました。

 日本における強制力を伴った措置は、新型インフル特措法に基づく緊急事態宣言に基づく土地使用や医薬品の確保等の措置ですが、全国一斉休校や都道府県知事による自粛要請など緊急事態宣言に基づかない措置も実質的には強制力を伴う措置として機能しており、そこには十分な補償や救済が必要でしたが、そうしたものは全く備わっていないか、少なくとも不十分でした。その結果、先ほど触れた例えば全国一斉休校による女性の負担や自粛要請に伴う企業・商店の経営悪化、雇用の悪化等を招いたのです。

安倍政権の終焉と菅政権の成立

 このようにコロナ対策で失政、悪政を続けた安倍政権ですが、東京高検幹部の違法な勤務延長やそれを後から合法化する検察庁法改正など、我が身を守る政策だけは躊躇なく断行していきました。

 花瑛塾は、こうした安倍政権の身勝手で法を踏み越える行為に対して厳しい抗議行動を展開しました。また世論の批判も集中し、安倍政権は東京高検幹部の違法な勤務延長の撤回こそしなかったものの、検察庁法改正断念に追い込まれました。

令和2年5月13日 コロナで大変な時に安倍は保身だけか! 黒川検事長の違法な勤務延長と検察庁法の改正案に抗議しました

 全ての行動が裏目に出て、手詰まりの状況に陥っていく中で、安倍首相はついに8月末、辞任を表明しました。約8年も続いた超長期政権がここに終焉を迎えたのです。

 花瑛塾は安倍政権の終焉について、沖縄の祖国復帰闘争碑に刻まれた「喜びを表明するためにあるのでもなく ましてや勝利を記念するためにあるのでもない 闘いをふり返り 大衆が信じ合い 自らの力を確かめ合い 決意を新たにし合うためにこそあり」との碑文を引用し、喜びを表明するのでもなく、勝利を記念するのでもなく、戦いを続ける決意を新たにしました。

安倍首相辞意表明をうけて─喜びでもなく勝利でもなく、戦いを続ける新たな決意を─(令和2年8月28日)

 そして9月の自民党総裁選と首班指名選挙、首相親任、組閣。菅政権が成立します。

 約8年ぶりの首相交代という清新な感覚に加え、地方出身のたたき上げやパンケーキが好きな庶民派といった菅首相のイメージ戦略により、政権発足時には70%前後の絶大な内閣支持率を得た菅政権ですが、花瑛塾は「パンケーキにだまされるな!」として、厳しく糾弾しました。

 すなわち菅政権の実態は、派閥領袖が党内を牛耳り、権力闘争と多数派工作、ポストの分配などの露骨な利益誘導と、党員投票を制限し全国の党員の声を無視して成立した政権であり、こうした政権誕生の内幕は、菅政権が今後、派閥領袖の動向を伺い、また財界など一部の利害関係者の意向を優先し、国民の声を平然と無視する政治をおこなうであろうことを示唆していると指摘しました。

令和2年9月14日 自民党総裁選、菅義偉新総裁に物申す!

 実際、パンケーキだなどと騒がれ、ゆるふわなイメージがあった菅首相ですが、日本学術会議の会員任命拒否問題がその陰湿な政治姿勢を暴露し、後手後手で不十分なコロナ対策によって実務能力にも疑問符がつき、政権発足からわずか3ヶ月で支持率は40%前後に急落し、不支持が支持を上回る世論調査も散見されるようになりました。

今年の全国戦没者追悼式に臨席される天皇、皇后両陛下:毎日新聞2020.8.15

 花瑛塾は菅政権の成立にあたり、この政権を短命で終わらせると決意しています。来年早々にはそれを実現していきたいと考えています。

 コロナ禍で多くの人々が苦境に追いやられていますが、菅政権にコロナ禍を乗り越え、人々の命と暮らし、社会の安定を維持する能力はありません。いや、そもそもそのような気概があるのかどうかも疑問です。

 今年8月の全国戦没者追悼式における天皇陛下のお言葉には、「私たちは今、新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、新たな苦難に直面していますが、私たち皆が手を共に携えて、この困難な状況を乗り越え、今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います」との一節がありました。異例のお言葉です。

 私たちはこの天皇陛下のお言葉を胸に刻み、天皇陛下のお心をわが心とし、コロナ禍を乗り越えていく必要があります。

 そのためにも無為無策無能の菅政権を倒さねばなりません。

イラン、香港、そしてアメリカ

 国際情勢も大きく動いた一年でした。

 特に年の初めには、米トランプ政権がイランのイスラム革命防衛隊幹部を殺害し、全世界に緊張が走りました。また5月、6月には中国習近平指導部による香港への国家安全法の適用をめぐる激動があり、11月にはバイデン次期大統領が米国大統領選を制しました。

 トランプ政権によるイラン敵視政策の強まりの中で、花瑛塾はかねてよりトランプ政権の一方的なイラン核合意の離脱を非難し、ただちにイランへの不必要な制裁等の敵視政策を停止し、核合意に復帰するべきだと訴えるとともに、日本政府はトランプ政権の提案する対イラン「有志連合」に参加してはならないと訴えていました。

 そうしたなかでのトランプ政権によるイスラム革命防衛隊幹部の殺害と、これをうけた日本の中東沖への自衛隊派遣について、強く抗議しました。

【高まる米国・イランの軍事的緊張】日本は中東沖への自衛隊派遣を撤回し、非軍事・平和外交による「戦わないための戦い」を全力で戦おう

 香港情勢については、花瑛塾亜細亜倶楽部として令和元年(2019)9月に香港に渡り、逃亡犯条例をめぐるいわゆる「反送中」「林鄭下台」運動を間近で見た経緯もあり注視していましたが、今年に入り習近平指導部は香港への国家安全法制の導入を策動し、香港の高度な自治の解体と一国二制度の根本的な変更に乗り出しました。

 花瑛塾は香港情勢をめぐり、習近平指導部に対し、香港市民が香港の自治をおこなう「港人治港」「一国二制度」という鄧小平が提示した香港返還の大原則を守るべきだと強く訴えました。習近平指導部は、一時の功名による香港回収やこれへの対抗という両国の衝突を避けた鄧小平とサッチャーのステーツマンとしての矜持を学び、香港の高度な自治の原則をあくまで尊重することにより、後世における名誉と香港の安定と発展という実利を得るべきです。

 習近平指導部による香港の高度な自治の解体と一国二制度の変更にあらためて抗議します。

中国政府による香港への国家安全法制導入に抗議する─「港人治港」「一国二制度」の大原則を守れ─

 米国大統領選挙では現職のトランプ大統領が敗北しました。来年早々にはバイデン次期大統領が新大統領に就任、バイデン政権が成立します。

 花瑛塾は、この大統領選挙によって米国のみならず世界に分断と対立と差別をばらまき続けたトランプ大統領を信任せず、バイデン次期大統領をニューリーダーに選んだ米国の民主主義の底堅さと不滅の輝きを思い知りました。

 今回の米国大統領選挙をまるで混乱した選挙であり、米国の民主主義の破綻を示したかのように喧伝する勢力もいましたが、それは全く事実と異なります。今回の米国大統領選挙は非常に安定した選挙でした。

 安倍政権の超長期政権化を許し、さらにそこから安倍政権の劣化コピーである菅政権を誕生させた一見落ち着いたように見える日本の民主主義こそ混乱と破綻の極致にあります。つまらぬ反米意識で米国の民主主義を愚弄する前に、自国の民主主義のお寒い状況をこそ総括するべきではないでしょうか。

米国大統領選挙の結果とバイデン次期大統領について(令和2年11月8日)

 戦後神社界を代表する言論人である葦津珍彦は「新しい国際情勢の転回に際して新しい決断を下すことこそ維新だ」と述べています。

 「維新」を名乗りながら新しい国際情勢の転回に際して新しい決断を下さず、インバウンドだカジノだ都構想だと古い決断にこだわり続けている勢力もいますが、花瑛塾は新しい国際情勢の転回に際してその本質を見抜き、動くものと動かざるものを見極め、新しい決断を下すことのできる維新派たらんと決意するものです。

恋しうちなぁ

 これまで毎年一年の半数近い日数を沖縄で過ごし、基地問題等の活動に取り組んでいた花瑛塾ですが、今年は年の初めこそ沖縄訪問が叶ったものの、4月以降は沖縄を訪れることができませんでした。

 コロナの感染拡大防止のため当然のことですが、やはり残念でなりません。「恋しうちなぁ」との思いを抱きながら過ごした一年でした。

コロナ禍で強行された宮古島の陸自ミサイル部隊編成完結式:QABニュース「Qプラス」 2020.4.7

 しかし例えば沖縄の北部訓練場返還地の米軍廃棄物問題について、現地で廃棄物の調査などができない分、例えば防衛省を訪れ担当者に要望することを検討するなど、本土でできることは何かを模索した一年でした。

 また現在、南西諸島への自衛隊配備が進められるなかで、沖縄では宮古島や石垣島が自衛隊の巨大なミサイル基地になろうとしています。さらに岸防衛相は長射程の新型ミサイルの開発を進めると発言していますが、この長射程の新型ミサイルも南西諸島に配備されるといわれており、中国本土を射程圏内におさめることになります。

 宮古島や石垣島のミサイル基地化は、中国と緊張を強める米国の戦力の補完という意味があり、自衛隊が米軍の二軍としての性格を強めるだけでなく、米軍基地の基地負担を強いられる沖縄に、さらに自衛隊の基地負担がのしかかります。

 宮古島や石垣島のミサイル基地化は、本土においてほとんど話題になっていません。理解もされていません。辺野古新基地建設に反対したり、日米安保の見直しを訴えている左右の人々でも、おそらく南西諸島への自衛隊配備の現状やその本質を正しくは理解できていないはずです。

 そのような本土と沖縄の温度差や本土の問題性は、やはり本土にいてこそ痛感するものであり、また本土においてこそ訴えるべき課題だと思います。

 沖縄を訪問することは今しばらく叶いませんが、だからこそ考えるべきことは何か、できることは何か、追及してきたいと思います。

沖縄人の涙が分かるか

 今年12月でコザ騒動から50年を迎えました。テレビや新聞などでコザ騒動が特集され、注目が集まりました。

 コザ騒動の現場を取材したラジオのテープには「沖縄はどうしたらいいのか、沖縄人は人間じゃないのかバカヤロー、沖縄人の涙が分かるかお前らは」というコザの市民の怒りとも悲しみともいえない叫びが収録されています。

コザ騒動で現場を警備するMP:琉球新報2020.12.20

 沖縄はどうしたらいいのか、沖縄人は人間じゃないのか、沖縄人の涙が分かるかとのコザの市民の叫びは、直接的には米軍に向けられたものですが、今あらためて聞いてみると本土に向けられた叫びのようにも思えます。少なくとも、今の本土に突き刺さる言葉です。

 花瑛塾は、このコザの市民の叫びを現代においてしっかりと受け止めたいと思っています。

 安倍政権で沖縄基地問題を担っていたのは当時官房長官であった菅首相です。菅首相は、亡くなった翁長前知事が沖縄戦以来の沖縄の基地負担の経緯を切々と説明しても、「歴史の話を持ち出されても困る」「戦後はみんな苦労した」と一蹴しました。まさしく「沖縄はどうしたらいいのか、沖縄人は人間じゃないのかバカヤロー、沖縄人の涙が分かるかお前らは」とやりきれない叫びをぶつけたくなるような人物です。

 同時に、沖縄の基地負担軽減を主張し、沖縄の人々の涙が分かるかのようなことをいいながら、その実は古色蒼然としたイデオロギーを振りかざし、政治闘争の場として沖縄を利用している左右の人たちもいます。

 花瑛塾はそうしたものに与せず、また屈することなく、沖縄の人々の涙が分かり、沖縄の人々とともに涙する存在でありたいと思っています。

 今年一年の皆様のご厚誼ご厚情に御礼申し上げますとともに、新しい年においても皆様のかわらぬご厚誼ご厚情、ご指導ご鞭撻と叱咤激励、そして憂国の厳正批判をたまわりたくよろしくお願い申し上げます。

令和元年の終わりに