令和元年の終わりに

お代替わりと自然災害、被災者

 早いもので今年も間も無く暮れようとしています。

 今年一年を振り返りますと、何といっても上皇陛下の退位と、それに伴う天皇陛下の即位、そして改元など、平成から令和へのお代替わり(「御代替わり」は歴史的には「みよがわり」ではなく「おだいがわり」と読まれてきたそうです)が思い起こされます。この一年、お代替わりに関する様々な儀式や行事が目白押しでしたが、恙なく執り行われましたこと、まことによろこばしい限りでした。

 昭和から平成へのお代替わりにおいては、「天皇決戦」なるスローガンを掲げた過激派が爆弾闘争を繰り広げたといわれていますが、このたびのお代替わりにおいては、そうしたテロ・ゲリラが起きることもなく、まさに隔世の感をおぼえます。

 一方で、今年立て続けに発生した豪雨や台風といった自然災害を考慮し、即位礼の祝賀御列の儀(いわゆる祝賀パレード)が延期となりました。

 30年前のお代替わりにおいて吹き荒れた過激派の爆弾闘争も、お代替わりそのものには何らの影響を与えることもできませんでしたが、このたびのお代替わりにおいては、自然の猛威を前にしてそうはいきませんでした。

 お代替わりをとめたのは、「天皇決戦」「大喪の礼粉砕」「即位の礼粉砕」「天皇制打倒」を呼号した過激派の爆弾闘争ではなく、自然災害であった──この事実は、私たちの国、私たちの社会が、これから真に立ち向かうべきものは何かをよくあらわしているように思います。

ブルーシートに覆われた屋根が目立つ館山・布良:毎日新聞2019年10月31日

 また、被災者たちは、つい最近まで避難所暮らしを余儀なくされ、今なお多くの人が仮設住宅に住んでいます。台風により破損した家の屋根をブルーシートで覆った状態で年を越す被災者も少なくありません。

 昨年12月23日、天皇陛下として最後の天皇誕生日に際し、上皇陛下はこれまでのご生涯と象徴天皇としてのつとめを振り返るお言葉を述べられましたが、そこで上皇陛下は

この1年を振り返るとき、例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。集中豪雨、地震、そして台風などによって多くの人の命が落とされ、また、それまでの生活の基盤を失いました。新聞やテレビを通して災害の様子を知り、また、後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが、自然の力は想像を絶するものでした。命を失った人々に追悼の意を表するとともに、被害を受けた人々が1日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています。

と述べています。天皇陛下も先日、台風19号により大きな被害をうけた宮城県や福島県の被災地を訪れ、被災者を見舞われましたが、今年一年がお代替わりの年として記憶される一方で、私たちも上皇陛下や天皇陛下が常に寄り添われている被災者の身の上に思いを致し、国民とともにある象徴天皇の意味を考え、その意義を発揚していく必要があるのではないでしょうか。

「粉飾決算」としてのアベノミクス

 この寒空の下、路上・野外で年の瀬を過ごすことを余儀なくされた路上生活者・野宿者が多数います。また、困窮や病に苦しんでいたり、障害を持つなかで、明日どうなるかわからない不安定な状況で年を越す人も多くいます。

アベノミクスの「偽装」:朝日新聞2019年2月7日

 先ほど述べた台風などの被災者への支援も充分ではありませんが、こうした社会的な弱者への行政による福祉もあまりに不充分なのが現実です。厳しい経済状況のなかで、行政は福祉への予算措置を真っ先に削減しており、被災者や社会的弱者への手当ては行き届いていません。

 一方で安倍政権は「アベノミクス」なる経済政策により過去最長の好景気が続いていると吹聴しています。それが事実であれば、なぜ福祉の予算が削減されているのでしょうか。なぜ福祉を受けられない社会的弱者がいるのでしょうか。なぜそれだけ好景気でいながら、社会全体にそんな余裕がないのでしょうか。

 今年早々には毎月勤労統計の不正が発覚しました。安倍首相が「アベノミクスの成果」と言い張る名目GDPの上昇にも、データの水増しが指摘されています。いわばアベノミクスとは不正なデータ操作によるところの「粉飾決算」であり、「過去最長の好景気」は実際は架空・偽装だという可能性があります。

 実際に実質賃金は上昇しておらず、デフレ脱却も実現していません。さらに秋元司議員の汚職事件で話題となったアベノミクスの成長戦略の柱であるIRですが、その本質は単なるカジノ・賭博・博打であり、アベノミクスの成長戦略の内実は、非常にお寒いものがあります。

民主主義の腐敗を養分とする安倍政権

 今年の春に開催された「桜を見る会」で、安倍首相は「平成を名残惜しむか八重桜」「新しき御代寿ぎて八重桜」との俳句を詠みました。新しい元号となった「令和」について、「俺が命名したんだ」「俺の時代なんだ」とでも言いたげな俳句ですが、実際にこれまで元号は漢籍を典拠としたところ、安倍首相から万葉集に限定して元号案を作成するよう中西進氏に指示があったそうであり、まさに「俺が命名したんだ」「俺の時代なんだ」と思うほどの「元号私物化」が行われていました。

今年の桜を見る会で挨拶する安倍首相:毎日新聞2019年12月26日

 桜を見る会と私物化といえば、この桜を見る会そのものの私物化、公的行事や公金の私物化が国会で厳しく追及されました。しかし「桜」の追及から身をかわし、国会・予算委員会から逃げ続けました。参院規則で開催しなければならない予算委員会すら開催しないという、恐るべき国会軽視が堂々と横行しています。

 先日のNHKスペシャルで麻生副首相・財務相が「この政権は強いんだ」と言い放ったそうですが、国会からも逃げ、記者からも逃げ、公金で支持者・後援者・有権者を買収し、批判には一切耳を傾けなくていいのであれば、それは強い政権が維持できるでしょう。間違いなく安倍政権は強い政権であり、図太い政権です。

 安倍政権は強く、図太く、国会から逃げ、マスメディアから逃げ、国民から逃げ続け、そして民主主義を腐敗させていきました。そうした民主主義の腐敗を養分とし、長期政権が維持されていったのです。そこに元号私物化、公的行事私物化、外交私物化、国有地私物化という国政私物化・国家私物化というさらなる強烈な腐敗が常態化していきました。

 どれだけ安倍政権を批判しても何も届かず、何もかわらず、攻撃は最大の防御とばかりに恣意的に解散権を行使し、野党をなぎ倒し、何年にもわたって絶対多数の政権を維持し続ければ、国民・有権者が政治的関心を失うのも当然のことです。何もかわらないのだから怒りも湧かないし、期待を持つこともないでしょう。もちろん、政治的関心を失った国民・有権者が選挙権を行使するわけはなく、安倍一強は維持され続けます。

 そうであれば、この大情況を変革するのは簡単な話なのかもしれません。民主主義に血を通わし、民主主義の腐敗を断ち切り、彼らに養分を与えないこと。すなわち国会やメディアがしっかりと政権を批判、追及し、人々が声をあげていくことです。何事もなければ、来年早々の通常国会では「桜」の追及が再開されます。この通常国会ばかりは安倍首相でも逃げることはできません。実際に今年、「桜」に関する予算委員会質疑一つで情勢は大きくかわりました。民主主義が機能すれば、この政権はあっという間にぐらつくのであり、来年にはその機会が待ち受けています。

 もちろん、通常国会の冒頭で安倍首相が衆議院を解散する可能性はあります。こうした恣意的な解散権の行使そのものが民主主義の腐敗の象徴ですが、野党がしっかりと連携し、きちんとした政権構想を打ち出し、国民・有権者の声を反映する態勢を確立すれば、解散総選挙でも勝利の余地はあります。少なくとも負けない戦いはできるでしょう。そうした時、国民・有権者は「政治はかわるのだ」という実体験に基づき、政治的当事者としての感覚を取り戻すことになり、また一つ民主主義に血を通わし、安倍政権の養分を断つことができるでしょう。

千万人と雖も我往かん

 神道言論人葦津珍彦は「一票の無力さの実感」という小論で

日本国では、いつも選挙が行われており、国民は一票を投ずる。国民たれもが投票権をもっており、主権者だといわれている。だが投票をするたびに、その一票の無意味さを痛感させられる。その一票が国の意思を定めえたとの実感がない。これは保守とか革新というのではなく、自分の意思、精神というものを多少でも明瞭に見つめている人には、共通の心理なのではあるまいか。

と述べています。まさに現代の政治状況に通じるような一節ですが、葦津はけして自身の一票を数千万人の有権者のうちの一票、すなわち自身の意思と祖国の意思の関わりは数千万分の一のものと考え、国の行く末に無気力・無関心であってはならないとします。中国の孟子からヨーロッパのルソーまで、天意と表現するか一般意思と表現するかは別として、祖国の意思と自身の意思は全的に直通しており、そこにおいて祖国への忠誠があり得ると葦津はいうのです。

 孟子はそれを「千万人と雖も我往かん」とも表現しますが、まさしくそうした精神こそが現在の安倍政権のぐらつきを生み出していったものだと思います。高江ヘリパッド建設による北部訓練場の一部返還式典から3年の月日が経ちますが、あのころ権力の絶頂の高みから沖縄に襲いかかっていた菅官房長官など、今や記者会見の場でも記者の追及に右往左往し、「ポンコツ」扱いされています。人々が自身の意思に確信をもって政権に立ち向かう時、状況は必ず変化していきます。

 来年もまた「千万人と雖も我往かん」の矜持をもって、戦っていきたいと思います。引き続きのご支援とご協力、ご指導ご鞭撻、叱咤激励をよろしくお願い申し上げます。

令和元年12月22日 アキノ隊員のグアム・やんばるトーク(ONE LOVE 高江)

 「アキノ隊員のグアム・やんばるトーク」(主催:ONE LOVE 高江)に参加し、お話しを伺いました。

お話しされるアキノ隊員

 第一部では、NAKAMURA MIZUKI 氏がグアムの米軍基地建設についてお話しされるとともに、アキノ隊員(宮城秋乃氏)がグアムの昆虫や生態系についてお話しされました。

 特に NAKAMURA MIZUKI 氏は、パレードが有名な毎年7月21日のグアム解放記念日に触れるなかで、グアムはアメリカの一部であっても自己決定権がない理由などを掘り下げながら、沖縄とアメリカの関係とグアムとアメリカの関係を対比しつつ説明いただきました。

 第二部はやんばるトークとして、アキノ隊員が北部訓練場返還地のリアルタイムの状況をお話しされました。

 直前に北部訓練場内に進入したとして市民が刑事特別法で逮捕される事件がありましたが、基地に進入した市民を刑特法を用いて弾圧はするけど、日米合同委員会における日米合意(密約)によって米軍は野放しというなんとも情けない日本の体制側にガッカリするし、わじわじする(「腹が立つ」という意味の沖縄の言葉)というアキノ隊員の思いから、日本がいかに植民地であるかということを痛感しました。

 また、この日、昨年に引き続き、埼玉県護国神社で開催された餅つき大会に参加しました。この餅つき大会は今年で4回目であり、実行委員として毎回参加させていただいています。

 今年も50kgものもち米を使って、神前に奉納するのし餅と参加者に振る舞うお餅をつき、その後に神事が執り行われ、神前にお餅を献上し、篳篥を奉奏しました。

 餅つき後、乃木神社(東京都港区)を参拝した他、青山霊園内の大久保利通公の墓所をお参りしました。

令和元年12月20日 KAEI SEMINAR「沖縄『北部訓練場』返還地の現状─返還されてなお沖縄を苦しめる米軍基地の環境問題─」

 この日、チョウ類研究者のアキノ隊員こと宮城秋乃さんを KAEI SEMINAR の講師にお招きし、「沖縄『北部訓練場』返還地の現状─返還されてなお沖縄を苦しめる米軍基地の環境問題─」とのテーマでお話しをお伺いしました。

お話しされるアキノ隊員

 3年前の平成28年12月22日、沖縄北部の東村高江集落を取り囲むように4ヵ所のヘリパッドが建設されたことと引き換えに、米軍演習場「北部訓練場」の過半が日本側に返還されました。

 沖縄防衛局は返還地における米軍が廃棄したとみられるゴミや弾薬類を除去し、その一年後に地権者に返還地を引き渡しました。さらに国は返還地を含む沖縄北部一帯を国立公園とし、世界自然遺産登録を目指しています。

 しかし、毎日のように沖縄北部の森の中に入り希少生物の生態の研究をしているアキノ隊員は、国頭村など北部訓練場返還地で無数の米軍の空包、空薬きょう、照明弾などの弾薬類、使用したばかりとみられる携行糧食などを発見しています。また、返還地のヘリパッド跡に米軍ヘリが離発着するところも目撃するなどしています。

 こうしたことを考えると、沖縄防衛局は北部訓練場返還地の廃棄物除去をまともに行っておらず、ゴミや弾薬など危険なものが大量に残され、環境にも有害な土壌汚染などもある状況で返還地を含む一帯の世界自然遺産登録を進めようとしているといえます。また、北部訓練場の過半が返還されたといっても訓練空域はかわらず、米軍ヘリが四六時中北部一帯を飛び回る状況に変化はありません。それどころか、返還地を今でも演習で使っているとも推測されます。

 米軍基地は返還されたなお、ノグチゲラをはじめとする多数の希少生物が生息する森の自然環境に深刻なダメージを与え、また人々の生活にも今なお影響を与え続けていることを気づかされました。

 講師のアキノ隊員と当日セミナーにご参加いただいた皆様に御礼申し上げますとともに、当方の不手際でセミナー中に機材トラブルでご迷惑をおかけしましたこと、お詫び申し上げます。

【お知らせ】KAEI SEMINAR「『国体論』と沖縄・アジア」白井聡さん

2020年2月1日(土)開催の公開セミナーのご案内です。
ページ下部のフォームよりお申し込み下さい。

『国体論』と沖縄・アジア

 異常なまでのアメリカ隷属、先の大戦への真摯な反省の欠如、民主主義の軽視、沖縄への冷酷な態度、朝鮮半島・アジア蔑視──枚挙にいとまないほどの安倍政権の問題点だが、それは何もこの政権に限った特別なものではない。

 戦後の日本は「敗戦」を「終戦」と呼びかえるような「敗戦の否認」を続けてきた。講師はこれを「永続敗戦レジーム」と規定するが、このレジームにこそ先のアメリカ隷属をはじめとする安倍政権そして戦後日本の問題がある。

 永続敗戦レジームと、そこにおいて構成的外部として疎外されてきた沖縄、侮蔑の対象とされてきた朝鮮半島・アジアの問題、さらに戦後の「国体」とまで化していったアメリカ隷属の問題などについて、講師よりお話しを伺いたい。

講師:白井聡さん 京都精華大学人文学部専任講師

講師プロフィール

東京都出身。早稲田大学卒業。一橋大学大学院博士課程単位修得退学。博士(社会学)。京都精華大人文学部専任講師。主著に『未完のレーニン─「力」の思想を読む─』(講談社選書メチエ)、『永続敗戦論─戦後日本の核心─』(太田出版、講談社+α文庫)、『国体論─菊と星条旗─』(集英社新書)。

日時:2020年2月1日(土) 開場13:30 開会14:00
予約:必要(席に限りがあるため、参加希望者は下記のフォームよりお申し込み下さい)
会費:1000円(学生の方、障がいのある方およびその介助者は無料です)
会場:あすか会議室神田小川町402号室(東京都千代田区神田小川町2-1-7 日本地所第7ビル4F)

地下鉄

都営新宿線 小川町駅 B7出口すぐ
丸ノ内線 淡路町駅 B7出口すぐ
千代田線 新御茶ノ水駅 B7出口すぐ

JR

山手線 神田駅 徒歩8分
中央線・総武線 御茶ノ水駅 徒歩8分

※1Fに「東京厨房」という飲食店が入居しているビルの4Fです。「東京厨房」を正面にしてビル左側の路地に入って少し進むと、右手側に「日本地所第7ビル」と記されたビルの入口がありますので、エレベーターで4Fまでお上がり下さい。

「東京厨房」を正面に向いて、左側の路地に入る
路地を少し進むと、右手側にビルの入口がある

申し込みフォーム

お申し込み後、こちらから申し込み完了メールを送信しますが、時折そのメールが届かないとのお問い合わせをいただきます。

ドメイン指定をされていると迷惑メールのフォルダに分類されたり、送信そのものが出来ない場合がありますので、ご確認下さい。

万一、申し込み完了メールが届かない場合でも、申し込み手続きはこちらで完了しておりますので、当日そのままお越し下さい。

第8回 『国体論』と沖縄・アジア 2020年2月1日 参加申し込み
※↑チェック必須

※携帯キャリアのメールアドレスをご使用の場合は、@kaeizyuku.comからのメールが受信出来るよう設定の上、お申込みください。

令和元年12月17日 山武郡市広域行政組合消防本部「レッド・バスティオン」見学

 千葉県の山武郡市広域行政組合消防本部に配備されている中型水陸両用車「レッド・バスティオン」を見学しました。

レッド・バスティオン

 レッド・バスティオンはキャタピラを備えた救助車両で荒れ地や泥濘地でも走行できるとともに、スクリューを備え水上も航行できる中型の水陸両用車輛です。今年10月の千葉県での豪雨などでレッド・バスティオンが出動し、救助救援活動にあたったそうです。

 似たような救助車両で「レッド・サラマンダー」というものがありますが、レッド・バスティオンはレッド・サラマンダーのいわば小型版です。バスティオンとはすなわち「砦」の意味で、救助救援の「最後の砦」となる決意と覚悟を表現して名付けられたそうです。

 レッド・バスティオンは総務省消防庁が購入し、現在、山武郡市広域行政組合消防本部と徳島県の板野東部消防組合消防本部に配備されています。

車両後部のスクリュー

 山武郡市広域行政組合消防本部を訪問すれば誰でも無料で見学ができ、運が良ければ乗車することも可能です。

 人々の暮らしを脅かすオスプレイやF35Bなど米国製の兵器よりも、こうした人の命を救う車両・器具に多くの予算をつけて購入・配備するべきではないでしょうか。

花瑛塾を取材した映画監督新田義貴さんの短編動画がYahoo! JAPAN クリエイターズプログラムで公開されました

 花瑛塾々長仲村之菊を取材した映画監督新田義貴さんによる短編ドキュメンタリー動画「私は日本を誇りに思う 右翼女性活動家はなぜ沖縄へ通うのか」がYahoo! JAPAN クリエイターズプログラムで公開されました。

 他にもYahoo! JAPAN クリエイターズプログラムでは、新田監督の短編動画として沖縄の米軍演習場「北部訓練場」返還地の環境問題や米軍の演習の実情を告発しているアキノ隊員こと宮城秋乃さんを取材した「闘うチョウ研究者 米軍基地から沖縄の森の生き物を守る」や、内戦下のシリアでISにより殺害されたジャーナリスト後藤健二さんの遺骨を収容するため殺害現場や遺体遺棄現場の特定に奔走する報道写真家の遠藤正雄さんを取材した「骨を拾う 後藤健二さん最期の地を探して」なども公開されています。

 どうぞご視聴下さい。

短編動画「私は日本を誇りに思う 右翼女性活動家はなぜ沖縄へ通うのか」

令和元年12月8日 大東亜戦争開戦の意義を問い直す

 花瑛塾行動隊は対英米開戦から78年の8日、先の大戦に関連する戦争遺跡を訪れました。

 まず最初に、開戦を告げる暗号「ニイタカヤマノボレ1208」を海軍の全艦隊に発信した海軍東京無線電信所船橋送信所跡(千葉県船橋市)を見学しました。

送信所跡を示すモニュメント

 送信所は、現在ではもはや当時の面影はなく、送信所があったことを示すモニュメントとプレートがあるだけですが、環状に通信塔が配置されていたため、空中写真で見ると地形にその名残があります。また関東大震災時時、「朝鮮人が暴動」といった流言飛語を各地に発信してしまった歴史的施設でもあります。

 その後、軍の食糧の開発、製造、保管などを行う施設である陸軍糧秣本廠跡(東京都江東区)を見学しました。

墨田川から越中島を望む

 敗戦時、軍はこの糧秣本廠付近に流れる運河の川底に金塊54トン、プラチナ13トンなど、現在の価値で数兆円とも換算される貴金属を隠匿し、戦後、GHQによって摘発、没収されました。

 78年前の開戦の数年後には国民は焼け出され、何もかも失いましたが、軍はなお巨額の財産を隠匿し、我がものにしようとしていたのです。この事実は、開戦の日の今日こそ振り返る必要があります。

 昭和16年(1941)12月8日未明、日本陸軍第25軍はマレーシア・コタバルのサバク海岸に上陸し、英軍と交戦状態に突入しました。その数時間後、日本海軍機動部隊はハワイ真珠湾の米艦隊を攻撃しました。また上海の租界の接収、香港への突入、フィリピン攻略の開始などの軍事作戦も始まり、先行する中国戦線も含め、ここに英米蘭などの国と「大東亜戦争」と呼称される戦争が開戦されました。なお、この戦争については、最近では歴史学的な立場から「アジア太平洋戦争」などと称される場合もあります。

花瑛塾亜細亜倶楽部として慰霊祭をおこなった日本軍上陸の地コタバル・サバク海岸

 開戦の背景には、昭和12年からの日中戦争の行き詰まりと、対日禁輸政策など日米交渉の難航といった危機的情勢があります。東南アジアへの進出により状況の打開をはかった日本ですが、いっそうの世界的孤立を強めていきました。同時に、当時の世界情勢はドイツがフランスを降伏させ、英国およびソ連と戦争状態にあるなど急展開しており、日本は急速に対英米開戦に傾いていったのです。

 対英米開戦時の日本の軍事戦略と終戦構想は、東南アジア一帯を勢力圏とし、重要資源を確保し、ドイツがソ連と英国を降伏させた上で、米国と講和を締結するというものでした。しかし、既にドイツは対ソ戦で敗走を始めており、開戦前において日本の軍事戦略と終戦構想は崩壊していたともいえます。

送信所の空中写真 環状の道路が昔の送信塔の名残といわれる

 それでも開戦された戦争の初期、日本軍は東南アジア各地に進出し、軍政を展開しました。軍政の第一目標は石油などの重要資源の確保と日本への輸送であり、第二目標は現地に展開する日本軍のための物資獲得でした。これにより現地住民の生活や経済に大きな負担をもたらしました。

 日本の終戦構想が東南アジアにおける勢力確保であり、中国戦線のために蒋介石率いる国民党を援助する援蒋ルート遮断が重要戦略に位置づけられるなど、コタバル上陸作戦が真珠湾攻撃に先立つこともふくめ、この戦争は「アジアの戦争」であったということができます。

 事実、日本は昭和18年に大東亜会議を開催し、大東亜共同宣言を発出し、アジア解放とアジア諸国の互恵・平等を宣言します。またそこで、日本を盟主としアジアを従属させる意味合いの強かった「大東亜共栄圏」構想を放棄し、「大東亜同盟」構想ともいうべきアジア諸国の対等・独立を目指します。

 大東亜共同宣言は、連合国による大西洋憲章に対抗する意味もあり、フィリピンやビルマの独立を認めるなど、内容そのものは先進的な価値を有しています。しかしインドネシアの民族主義者スカルノなどは会議に招請されず、また日本はジャワやセレベスといった戦略的要所は日本領とするなど、問題も存在していました。

糧秣本廠付近の運河の川底から発見された金塊:NHKスペシャル「戦後ゼロ年 東京ブラックホール」より

 ソ連の反撃とドイツの敗走という戦略的の崩壊とともに、真珠湾攻撃では日本海軍潜水艦部隊が何らの成果をあげられず、マレー沖海戦では航空作戦を用い英軍の戦艦を撃沈させながらも、日本軍攻撃機の被弾率が40パーセントを超えるなど、連合軍の防空能力の強さが示され、戦術的な失敗が存在していました。既に開戦前後において、戦局には暗雲が立ち込めていたのです。しかし開戦初期の大勝利のなかで、こうした戦術的失敗は真剣に検討されず、昭和17年6月のミッドウェー海戦での大敗北以降、情勢打開の見込みなき戦いが繰り返されていきます。

 戦況の悪化は、軍政下のアジアにも大きな被害をもたらしました。重要資源を日本へ運ぶ輸送船は、ことごとく連合軍によって撃沈され、アジア諸国の食料や生活用品などの輸送にも支障をきたし、食糧難や生活難が発生します。そして連合軍の逆上陸に備え、軍政下の地域の経済などは全て軍事動員されていきました。こうした日本軍政の反発のなかで、抗日ゲリラ闘争が高まり、独立運動が展開されるなどしました。

 このように先の大戦を対英米開戦というだけでなくアジアの視点から振り返った時、多くの人々の悲劇と痛苦を感じずにはいられません。奇しくもこの日、アジアの人々を傷つけ苦しめている技能実習生制度の問題点を曖昧にしたまま改正入管法が成立しました。今日という日にあらためて私たちの国の「アジアへの視線」を問う必要があるのではないでしょうか。

RBC:琉球放送「RBCザ・ニュース」に花瑛塾が取り上げられました

 11月26日放送のRBC:琉球放送「RBCザ・ニュース」で「特集 右翼だから掲げる“反米軍基地”」として花瑛塾の沖縄での活動が取り上げられました。

 番組はRBCのYouTubeチャンネルにアップされています。ご視聴下さい。

RBC NEWS「特集 右翼だから掲げる“反米軍基地”前編」2019/11/26

RBC NEWS「特集 右翼だから掲げる“反米軍基地”前編」

RBC NEWS「特集 右翼だから掲げる“反米軍基地”後編」2019/11/26

RBC NEWS「特集 右翼だから掲げる“反米軍基地”後編」

令和元年11月25日 「楯の会」事件49年 三島由紀夫墓参

 昭和45年(1970)11月25日に発生した「楯の会」事件から49年の今日、事件で命を絶った三島由紀夫、森田必勝の両氏を偲び、多磨霊園内の三島由紀夫の墓所(平岡家之墓)をお参りしました。

三島由紀夫のねむる平岡家之墓

令和元年11月23日 花瑛塾第21次沖縄派遣団(魂魄の塔、トークイベント「恋しうちなぁ~うちなんちゅになりたくて、なりきれない心~」)

 花瑛塾第21次沖縄派遣団は23日、糸満市米須に建立されている「魂魄の塔」を参拝し、沖縄戦の全ての犠牲者を慰霊・追悼しました。

魂魄の塔

 「魂魄の塔」は、米須周辺に移住させられていた旧真和志村の住民が、付近に放置されている沖縄戦での戦没者の遺体・遺骨を収容し埋葬した地に建立された慰霊の碑です。後に遺骨は国立戦没者墓苑に移されますが、現在でも沖縄戦の戦没者を慰霊する象徴的な慰霊碑です。

 「魂魄の塔」参拝後、那覇市牧志のレストラン Punga Ponga で「恋しうちなぁ~うちなんちゅになりたくて、なりきれない心~」と銘打って開催されるトークイベントにお招きいただき、お話しいたしました。ご来場の皆様に御礼申し上げます。

トークイベントの様子

 沖縄を複数回訪れ、沖縄の民俗や宗教、歴史を研究し、多くの沖縄の人々と交流した折口信夫は戦後、沖縄戦により壊滅的な状態に陥りながら、全く本土との連絡が途絶えてしまった沖縄を憂い、「沖縄を憶ふ」との一篇の文を執筆していますが、沖縄の基地負担など私たちも現在進行形の沖縄の犠牲や負担についてよく意識し、沖縄を思い続け、恋し続けていきたいと思います。