平成30年6月24日 花瑛塾行動隊街頭行動

 花瑛塾行動隊は24日、首相官邸・自民党本部周辺にて、23日沖縄「慰霊の日」における平和祈念公園(摩文仁)において、安倍首相が「御霊」に誓ったという「不戦の決意」、そして記者団に語った「沖縄の基地負担の軽減」について、その覚悟そのものは是とするものの、心にもない誓いは「御霊」への冒涜であり、その誓いは必ず履行してもらうと強く警告しました。

 その後、アメリカ大使館周辺にて軟弱地盤やサンゴ群体が確認される辺野古新基地建設において、日本政府より施設を提供されるアメリカもまたこの問題について無関係ではなく、民主主義国家として地域の民意を尊重するべきと訴えました。

 さらにロシア大使館周辺にて、日ロ新外交の構築と北朝鮮問題におけるロシアの助力を訴えました。

平和祈念公園の「慰霊の日」式典に参列する安倍総理【朝日新聞2018年6月23日】

【お知らせ】公開セミナー「Kaei Seminar」を開催します

 明日6月25日、公開セミナー「Kaei Seminar」を開催いたします。

 詳細は以下よりご確認下さい。画像をクリックするとPDFでご確認いただけます。

 会場設営の都合上、参加を希望される方は下記の申し込みフォームより事前にお申し込み下さい。

 なお、既に多数の参加申し込みのご連絡をいただいたため、セミナー会場を急遽変更いたしました。

 参加のご連絡をいただいた皆様には別途メールにてご案内いたしますが、下記のリンクより改めてご確認いただければ幸いです。

 開催の日時に変更はありません。当日は、18時30分頃開場、19時頃開会を予定しています。

 KAEI SEMINAR http://kaeizyuku.com/kaei-seminar/

 たくさんのご参加をお待ちしております。

平成30年6月23日 東京琉球館「生死を超えた琉球人搾取ー百按司墓遺骨返還運動が問うもの」(講師:松島泰勝氏)

 東京琉球館(豊島区駒込)にて開催された松島泰勝氏(龍谷大学)を講師とするフォーラム「生死を超えた琉球人搾取ー百按司墓遺骨返還運動が問うもの」を拝聴しました。

 戦前、京都帝大助教授・金関丈夫は、今帰仁村の百按司墓(ももじゃなばか)を調査し、警察・行政の許可を得つつも関係者や付近住民の了解のないまま遺骨を持ち出し、京都帝国大や台湾帝国大に寄贈するなどしました。

 金関の行為はいわば盗掘であり、当時の沖縄の行政や警察の上層部が現地の人々ではなく日本「本土」人が占めていた状況であるからこそ行われたものであり、一種の植民地体制下の出来事といえます。金関の行為は学術的な倫理にも悖るものであり、人々の信仰や生活を無視した犯罪的行為ですが、それは金関個人の犯罪性ということだけではなく、その背景には日本「本土」と琉球・沖縄の構造的な差別・蔑視関係、植民地的な収奪の関係を見ることができます。

 金関が持ち出した百按司墓の遺骨について、京都大学は現在も返還しておらず、松島氏らの返還要望への回答を拒否しています。琉球・沖縄の人々は、生きている間は基地や経済の面で植民地的支配を受け、死んでなお遺骨を「戦利品」のように強奪され続けるという支配を受けているといえます。

 松島氏より返還運動の現状と遺骨持ち出し問題の背景にある植民地主義や日琉同祖論などについて解説を伺いました。

花瑛塾第13次沖縄派遣団⑤(高江米軍ヘリ炎上・大破現場見学)

 花瑛塾第13次沖縄派遣団は22日、昨年10月11日東村高江にて発生した米海兵隊ヘリCH-53Eの炎上・大破事故について、事故現場の土地所有者の方に当時の状況の説明を受けました。

 幸いにも事故により付近住民やヘリ乗組員などの人的被害はありませんでしたが、炎上・大破した現場である牧草地の所有者の経済的被害は甚大です。また、事故現場は高江公民館や小学校から数キロ、民家から数百メートルの地点にあり、事故の恐怖という周辺住民の精神的被害も大きいものがあります。さらに同ヘリの回転翼にはストロンチウム90を利用した安全装置が取り付けられており、付近の放射能汚染も心配されています。

東村高江の牧草地で炎上・大破する米軍ヘリ【沖縄タイムス2017年10月25日】

 2004年に発生した沖縄国際大学(宜野湾市)アメリカ軍ヘリ墜落事件など、米軍機の墜落事故は戦後枚挙に暇がない。一昨年12月には名護市東海岸の沖合で MV-22オスプレイの墜落・大破事故が起きました。沖縄で繰り返される悲劇に終わりはないのでしょうか。日米両政府に対し、事故原因の徹底的な解明と公表を求めます。

 事故の背景には、沖縄への過度な基地の押しつけがあることはいうまでもありません。そして度重なる議決や申し入れにも関わらず、市街地上空を我が物顔で低空飛行する米軍のおごり、そしてそれを許す日本政府の県民軽視、さらに日米地位協定やこれに関する各種の日米合意により、過去の同種事故の真相解明がなされなかったことなどがあげられます。事故後の米軍の対応も傲慢なものがあり、事故被害者や付近住民の感情を逆なでしました。いまこそ沖縄への基地押しつけをやめ、日米地位協定・日米合意を見直すべきです。

 また、一昨年強行された在沖米海兵隊演習場「北部訓練場」(東村・国頭村)におけるヘリパッド建設や普天間飛行場の「移設」と称する辺野古新基地建設(名護市)は、同種事故発生の危険性を高めるものです。日米両政府は、普天間飛行場の無条件閉鎖、辺野古新基地建設の全面撤回、北部訓練場での演習中止を実施するべきではないでしょうか。

 1953年に交わされた日米合同委員会による「合衆国軍用機の事故現場における措置」の合意事項の第20条には、

合衆国軍用機が合衆国軍隊の使用する施設又は区域外にある公有若しくは私有の財産に墜落又は不時着した場合には、適当な合衆国軍隊の代表者は、必要な救助作業又は合衆国財産の保護をなすため事前の承認なくして公有又は私有の財産に立ち入ることが許されるものとする。(中略)日米両国の当局は、許可のない者を事故現場の至近に近寄らせないようにするため共同して必要な統制を行うものとする。

とあり、米軍機の事故において、基地の外であろうと私有地であろうと、米軍がそこに立ち入ることを認めています。さらに日米両国が共同で事故現場を封鎖する処置を取ることを認めています。上述の沖国大ヘリ墜落事故では、現場一帯を米軍がロックアウトしたことが問題視され、今次事故でも米軍による現場封鎖が話題となりました。それらはこの合意事項に基づきます。こうした事態が認められている限り、事故の原因の解明はありえず、同種事故を防ぐことはできないといえます。

 一方、日米合同委員会の合意事項21条「捜索等の要請」は、

(前略)日本国の当局は、右施設又は区域外における合衆国軍隊の構成員、軍属又はそれらの家族の身体又は財産に対して捜索、差押又は検証を行おうとするときは、できるならば、事前に、もよりの憲兵司令官又は当該本人が所属する部隊の司令官に、その旨を通知するものとする。このことは、いかなる意味においても、日本国の法律執行員が、右施設又は区域外において、関係法令に従い、合衆国軍隊の構成員、軍属又はそれらの家族の身体又は財産に対して捜索、差押又は検証を行う権限を制限するものではない。

とも取り決めています。確かに日米地位協定に関する合意議事録では、

日本国の当局は、通常、合衆国軍隊が使用し、かつ、その権限に基づいて警備している施設若しくは区域内にあるすべての者若しくは財産について、又は所在地のいかんを問わず合衆国軍隊の財産について、捜索、差押え又は検証を行う権利を行使しない。ただし、合衆国軍隊の権限のある当局が、日本国の当局によるこれらの捜索、差押え又は検証に同意した場合は、この限りでない。

とありますが、既に比屋定泰治氏が沖国大ヘリ墜落事件に関して指摘しているように(『沖縄法學』34号、2005年)、機体そのものは米軍の財産と考えられても、現場一帯を封鎖する理由にはならず、日本側の捜査・検証が全面的に否定されるものではないはずです。そして現場の封鎖は米軍による一方的な封鎖ではなく、日米共同の封鎖であり、日本側の立ち入りが拒まれる理由はありません。そして、米軍は日本側の申し入れについて「同意」することもできるのです。

炎上・大破現場の土地所有者に当時の状況と現在の心境などを伺う

 今次事故について沖縄県警察本部は航空危険行為処罰法違反容疑で捜査を進めると報道がなされました。日米地位協定や日米合意事項の規定上も運用上も、日本側が事故の捜査・処罰、原因解明に関与できない理由はありません。日米間にある「合意」や「議事録」あるいは「密約」という壁を乗り越えるか、壁を壁のままとするかは、日本側の態度と意思の如何にかかっているのです。。

 小野寺五典防衛相は、事故発生を受けて事故機の同型機の飛行中止を要請したが、米軍は同月18日から飛行を再開しました。小野寺防衛相は、米軍に飛行再開の発表をうけて、「安全性について防衛省側に十分な説明がない状況において、米軍側が一方的にこのような発表を行ったことは極めて遺憾だ」との趣旨の発言をしました。

 沖縄県民や日本国民の神経を逆なでするような米軍の傲慢は許されないが、日本側の米軍への不十分な姿勢や対応も事故を生む原因として考えられます。北朝鮮の「脅威」を煽り、「圧力」「国難」と騒ぎ立てる前に、なすべきことがあるはずです。

 その後、沖縄県名護市辺野古崎で進められている新基地建設の現状を確認しました。

 辺野古では護岸工事が一定の進捗を見せ、8月に土砂の投入が予定されています。一方で、埋め立て予定区域にサンゴの群体が確認され、さらにボーリング調査の結果、軟弱地盤の存在が明るみになるなど、辺野古新基地建設について沖縄防衛局には新たな対応が求められています。また沖縄県は埋め立て承認撤回や工事中止命令を検討するなど、新基地建設は重大な局面を迎えています。

キャンプ・シュワブ付近の海上のオレンジのフロートの奥は立ち入り禁止水域であり、作業船などが見える

花瑛塾第13次沖縄派遣団④(米海兵隊演習場「北部訓練場」前アピール)

 花瑛塾第13次沖縄派遣団は19日、米海兵隊演習場「北部訓練場」(東村・国頭村)メインゲート前にて、アピール行動を行いました。

 北部訓練場は正式名称を「ジャングル戦闘訓練センター」(キャンプ・ゴンザルベス)といい、ベトナム戦争が本格化するなかでジャングル戦闘演習の必要から1957年に開設されました。沖縄北部、いわゆる「やんばるの森」一帯の広大な敷地が演習場として設定され、沖縄県内最大の米軍演習場となっています。

 95年の米兵による少女暴行事件という痛ましい出来事の後の翌年、普天間飛行場の閉鎖・返還を中心とするSACO合意がなされましたが、そこにおいて北部訓練場の過半の返還と、残った敷地内に計7箇所(後に6箇所)のヘリパッドを建設することになりました。

 ここだけを切り取れば基地負担の軽減のように思えますが、新たに建設されるヘリパッドは東村高江集落を取り囲むように設定されていたため、高江集落の人々を中心に反対の声が高まりました。しかも、この頃には垂直離着陸機オスプレイの沖縄配備が現実化していたため、新たなヘリパッドではオスプレイが離着陸するのではないのかという懸念が募りました。

建設予定のヘリパッド【沖縄タイムス2016年8月30日】

 同時に、ヘリパッド建設とともに国頭村安波集落の宇嘉川河口とその接続水域が新たに米軍に提供されることになり、そこはヘリパッドと歩行訓練ルートや進入路で結ばれることになっていました。例えば、オスプレイでヘリパッドに着陸し、歩行訓練ルートを進んで宇嘉川河口に至り、接続水域から舟艇で海洋へ脱出する、あるいは舟艇もしくはオスプレイで宇嘉川河口に至り、歩行訓練ルートを進んでヘリパッドや演習場に至るという、陸海空一体となった非常に実践的な演習が可能となります。まさしくヘリパッド建設は、事実上の北部訓練場の基地機能の強化であったのです。

 さらに2007年、いわゆる北部訓練場N4地区における2箇所のヘリパッド建設から高江の人々を中心とした座り込み行動などが本格化しますが、これに対する沖縄防衛局の対応が非常に高圧的であり、8歳の子どもを「通行妨害者」として仮処分を申請するなど、住民感情を逆なですることになりました。

 そして2016年からN1地区、G地区、H地区で残り4箇所のヘリパッド建設が開始されましたが、沖縄県警は警察庁と密接な連絡のもと、暴力団「工藤会」対策のため全国から集められた警官隊と同規模の機動隊を高江に派遣し、暴力的な警備を展開しました。これについては長時間機動隊に足止めをうけた市民が訴訟を提起しており、警察活動の違法性が認定されています。工事もずさんかつ違法な突貫工事であり、ヘリパッドののり面の崩落や赤土の流出など多くの問題点が指摘されています。

 辺野古新基地にはヘリパッドが建設され、100機ともいわれるオスプレイが配備されるといわれています。辺野古を離陸したオスプレイが高江で演習を繰り広げる。こうした辺野古と一体化した運用・演習が行われ、騒音や墜落の危険性など住民の基地負担はこれから本格化します。昨年末には高江集落から数百メートルの牧草地で米海兵隊ヘリが炎上・大破する重大事故も発生しました。オスプレイはじめ軍用ヘリの離着陸や激しい演習により、ノグチゲラやヤンバルクイナなどやんばるの森の希少生物にも激しいダメージを与えるでしょう。さらにヘリパッド工事そのものが、多くの希少生物や環境に負荷をかけたに違いありません。

 さらに今夏にはN1表ゲートからN1裏ゲートを結ぶFルートの修繕工事が開始される予定となっており、東村議会がN4地区ヘリパッドの即時撤去を議決するなど、情勢はいまだ流動的です。まさに「高江は何も終わっていない」のであり、その旨を強く訴えました。

北部訓練場メインゲート前にてアピールする【撮影・画像提供:宮城秋乃さん】

23日放送予定 ETV特集「基地で働き 基地と闘う~沖縄 上原康助の苦悩~」

 今月23日(土)23時~0時、EテレにてETV特集「基地で働き 基地と闘う~沖縄 上原康助の苦悩~」 http://www4.nhk.or.jp/etv21c/ が放送予定とのこと。

 昭和7年に沖縄に生まれた上原康助は、軍雇用員として米軍基地で働く一方、基地労働者による労働組合「全軍労(全沖縄軍労働者組合連合会、後に全沖縄軍労働者組合)」を結成し、初代委員長として基地労働者を率い労働運動に取り組んだ人物である。そして昭和45年より瀬長亀次郎や国場幸昌らとともに沖縄選出の国会議員として衆議院議員を10期務め、北海道開発庁長官や沖縄開発庁長官を歴任し、昨年亡くなった。

復帰40年記念式典で挨拶する上原【朝日新聞2017年8月6日】

 全軍労は、昭和36年に基地労働者の組合の連合組織として出発し、同38年には組合員5800人を擁する単一労組となった。そして同45年頃には組合員2万人を誇り、官公労や沖縄教職員会をしのぐ巨大労働組合と発展していった。

 全軍労が巨大化する背景には、複数の種別の基地労働者を組織化したことがある。基地労働者には布令により第1から第4種までの種別があり、第1種は「米国政府割当資金から支払いを受ける直接被用者」、第2種が「米国政府非割当資金から支払いを受ける直接被用者」、第3種が「琉球列島米国要員の直接被用者」、そして第4種が「契約履行中の米国政府請負業者の被用者」となっている。全軍労は元来ここでいう第1種労働者の組合であったが、退職金制度の獲得など全軍労の運動が結果を出していくにつれ、第2種労働者の組合結成などが進み、全軍労が巨大化していったのである。

 こうした全軍労は同41年、米軍施政権下から脱却し、沖縄の「祖国復帰」を目指す「復帰協(祖国復帰協議会)」に加盟するが、米軍基地で働く労働者の組合として「祖国復帰」を標榜することには困難がつきまとった。さらに「基地撤去」を目指す復帰協の構成体としても、基地を存立基盤とする全軍労にとって「基地撤去」は簡単に主張できるものではなかった。しかし全軍労はその後、米軍による基地労働者の大量解雇反対闘争を展開するなかで、自ら「基地撤去」を掲げて闘争を展開するようになり、復帰協による祖国復帰闘争の主導的団体となっていくのである。

 米軍基地・日米安保・祖国復帰と複雑な状況に置かれた沖縄において、基地で働く者の基地と復帰に対するさらに複雑な思い。そんな彼らのリーダーである上原。

 上原の死後、58冊の未公開ノートが見つかり、そこには基地を命綱としながら基地撤去運動を闘った上原の心情が記されていたという。番組では、上原の人生を追いかけ、そして未公開ノートに記された上原の苦悩に光をあて、沖縄の苦悩に迫ることになるだろう。放映を楽しみにしたい。

平成30年6月17日 花瑛塾行動隊街頭行動

 花瑛塾行動隊は17日、防衛省・アメリカ大使館周辺にて新基地建設・日米地位協定はじめ日米安保体制の問題点を訴えました。

 現在、沖縄県名護市辺野古崎で進められている新基地建設では、護岸工事が一定の進捗を見せ、8月に土砂の投入が予定されています。一方で、埋め立て予定区域にサンゴの群体が確認され、さらにボーリング調査の結果、軟弱地盤の存在が明るみになるなど、辺野古新基地建設について沖縄防衛局には新たな対応が求められています。また沖縄県は埋め立て承認撤回や工事中止命令を検討するなど、新基地建設は重大な局面を迎えています。

辺野古新基地の工事進捗状況【沖縄タイムス2018年5月2日より】

 日米間の在日米軍基地の使用に関する合意を記した「5・15メモ」によると、在日米軍基地の使用は、沖縄側には何も知らされていないなかで、日米が秘密裏に取り決めていることが明るみとなっています。既に辺野古新基地は普天間飛行場の「移設」と称しつつも、滑走路のみならず強襲揚陸艦が接岸可能な規模の船舶の係留岸壁が付設され、さらに弾薬搭載エリアやヘリポートが設置されるなど、飛行場であり軍港でもある巨大海上軍事基地となることが指摘されています。その上で基地の使用方法が沖縄側に知らされず、もちろん意思決定に介在することもないまま日米で秘密裏に決められるのであれば、沖縄の基地負担はどれほどのものとなるでしょうか。

 こうした沖縄の過剰な基地負担の背景には、米軍の意志が優先される安保条約・地位協定という現状の日米安保体制にあり、辺野古新基地建設阻止とともに、その根本にある日米安保体制そのものを見直す必要があります。

 その後、首相官邸・自民党本部周辺にて、森友・加計問題と北朝鮮問題について訴えました。

 森友学園への国有地売却問題については、最近の国会審議によって、財務省・国交省間に安倍首相夫妻を守るため公文書を組織的に隠ぺいする意思を記した新たな文書の存在が発覚しています。安倍首相はみずからの言葉通り、自身と夫人の関与をもってこの問題の責任をとるべきです。さらに北朝鮮問題について、「対話は必要ない」「最大限の圧力」「国難突破」と世界でただ一人吹き上がり、世界各国に北朝鮮との「断交」まで求めたこれまでの安倍政権の対北朝鮮外交が一体わが国に何をもたらしたのか、安倍首相に真剣な総括を求めました。

首相官邸西側

花瑛塾第13次沖縄派遣団③(沖縄公文書館上映会、沖縄陸軍病院20号壕)

 花瑛塾第13次沖縄派遣団は16日、沖縄県公文書館(南風原町)にて開催された上映会vol.1「沖縄戦と「戦後」」に参加し、約80年前の沖縄を記録した短編ドキュメンタリー「沖縄」(製作:東京日日新聞社、大阪毎日新聞社)と米海兵隊の自国向け映画「Battle for Okinawa No.3 沖縄の戦い」を鑑賞しました。

県立公文書館

 短編ドキュメンタリー「沖縄」には「南の生命線は沖縄県人が担っている」「もっともっと私達は沖縄を知り、もっともっと沖縄に親しまなければならない」というナレーションがありました。その言葉は日琉同祖論や戦時体制という思想的あるいは時代的な注意が必要な言葉ですが、あえて文字通り受け止めたとすれば、沖縄のことを何も知らず心ない誹謗やデマを発信し続けている80年前のこれらの言葉とは真逆の現在の「本土」の状況に恥じ入りました。

 米海兵隊による映画「Battle for Okinawa No.3 沖縄の戦い」は、米軍の自国向けの戦意高揚の映画であり、日本軍の守備隊が強く苦戦したが、守備隊の一部は捕まえると意外に無力だったなどのナレーションがありました。米兵がカバン式爆弾や火炎放射器で一帯を焼き尽くし、最後に星条旗を掲揚するシーンには、戦争の無残さを感じました。なお、第3部「記録映画 人間の住んでいる島」は沖縄戦において激戦となり、また戦後には米軍飛行場が建設され、核兵器の模擬爆弾の投下訓練までも行われていた伊江島の記録を紹介するものでしたが、時間の関係で第3部は欠席しました。

 公文書館での上映会に引き続き、沖縄陸軍病院20号壕(南風原町)を見学しました。沖縄陸軍病院は昭和19年(1944)10月より那覇からこの地に移設され、なかでも20号壕は沖縄戦の陸軍病院第2外科として戦傷者の治療が行われました。医師や薬品はまったく足りておらず、軍病院の医療態勢は充分ではありませんでした。その上で戦争の激化により多くの戦傷者が送られてきたため、多くの患者が激痛の中でウジにまみれながら放置され、最後は家族の名前を呼び続け亡くなったそうです。

近年公開された20号壕内

 陸軍病院には沖縄師範学校女子部や県立第1高等女学校の女学生、いわゆる「ひめゆり学徒隊」が看護要員として配属され、空襲や艦砲射撃の間を縫って壕の外の炊事場から食事の釜を運ぶ「飯上げ」や水汲み、汚物の処理など治療の補助や患者の世話をしました。特に壕の外に出る「飯上げ」は危険であり、多くの女学生が命を落としました。

 沖縄戦後、下のモニュメントの奥のソウシジュの森で、病院壕付近一帯で戦死された人々を火葬したそうです。戦場となる前にひめゆり学徒隊が記念写真を撮ったといわれる場所に戦後建てられたこの平和の鐘のモニュメントは、両手をあわせ祈るように形作られており、今も戦死者を追悼し祈り続けています。

慰霊・平和の祈りのモニュメント

平成30年6月16日 9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼「明治150年」と関東大震災

 9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼「「明治150年」と関東大震災」(主催:9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会、歴史教育者協議会)に参加しました。

 第1部として、山田朗氏(明治大学)を講師として講演「「明治150年」と関東大震災ー朝鮮人虐殺を生み出したものー」を拝聴しました。第2部として、東京朝鮮中高級学校合唱部によるコーラスが披露されました。

 山田氏からは、関東大震災における朝鮮人虐殺の背景にあるものとして、明治以降の日本の朝鮮統治・蔑視という構造的な問題、つまりいわゆるアジアを対等の存在として見ない「脱亜入欧」的発想が指摘されました。

 また、改憲論の背景にある明治礼賛論という「改憲論=歴史認識問題」という提起や、戦後70年を迎えた「安倍談話」における日露戦争の美化・日中戦争の消去という危険な歴史認識について、日露戦争における英米の役割や財政的負担、その後の韓国併合など、日露戦争の真実についての解説を拝聴しました。

講演される山田朗氏

 関東大震災直後より流言飛語が発生し、朝鮮人・中国人・社会主義者・被差別部落出身者などが警察・軍隊・自警団によって虐殺されたことは、動かしがたい歴史の事実です。関東大震災の犠牲者を慰霊する東京都慰霊堂では、毎年、9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典が開催され、東京都知事による追悼文が送付されていましたが、昨年、小池百合子都知事は追悼文の送付を取りやめました

 こうした動きの中で、花瑛塾は昨年、東京都慰霊堂の朝鮮人犠牲者の碑はもちろん、被差別部落出身者が虐殺された「福田村事件」(千葉県野田市)の慰霊碑や中国人労働者らが虐殺された「東大島町事件」(東京都江東区)の事件現場を訪れ、慰霊・鎮魂の祈りを捧げましたが、この国の「保守」は自国の歴史から都合よく「逃亡」する悪癖があります。

昨年慰霊参拝した「関東大震災福田村事件犠牲者追悼慰霊碑」

 沖縄旅行の帰路、関東大人災が発生し、自身も自警団に誰何された天才的な国文学者・民俗学者・神道学者の折口信夫は、その後「砂けぶり」という長編詩を叙述し、そこで「おん身らは誰をころしたと思ふ。陛下のみ名においてー。」と日本人虐殺犯を非難しています(初出「砂けぶり」より)。歴史から逃亡し、都合よく歴史を修正するようでは、日本人はいつか同じ過ちを繰り返すことでしょう。

花瑛塾第13次沖縄派遣団②(旧海軍司令部壕)

 花瑛塾第13次沖縄派遣団は15日、旧海軍司令部壕(豊見城市)を見学・慰霊しました。

 沖縄戦を控えた昭和19年(1944)、沖縄に配備された海軍沖縄方面根拠地隊や設営隊、航空隊などの部隊は小禄飛行場(現:那覇空港)を建設し、付近の「火番森」(74高地)の地下に壕を構え、司令部としました。沖縄戦末期には、司令部壕付近の小禄地区は日米の激戦となりました。

司令部壕通路

 沖縄の海軍部隊は、大田実海軍中将が司令官として指揮しました。司令部壕はじめ飛行場、各陣地はツルハシやスコップ、モッコなどを用いほぼ人力で作られたといわれており、当時のツルハシが展示されていました。また沖縄戦末期、米軍に抵抗していた海軍部隊が追いつめられ司令部壕内に多数退却しましたが、それにより壕は立錐の余地なく、兵士たちは立って仮眠したそうです。

建設に使用されたツルハシ

 昭和20年6月13日午前1時、大田司令官は壕内で自決し、軍幹部も続きました。自決の手段に手榴弾が使われたといわれ、壁には手榴弾の爆破の衝撃でえぐれた状態となっています。他にも司令官室には大田司令官による「大君の御はたのもとにししてこそ人と生れし甲斐ぞありけり」との歌や、「醜米覆滅」などのスローガンが壁書されています。

大田司令官の壁書が残る司令官室

 戦後、沖縄の各戦跡は慰霊参拝・見学などで多数の旅行客が訪れましたが、特にこの旧海軍司令部壕は沖縄観光開発事業団(現:沖縄コンベンションビューロー)が旧司令部壕や周辺を整備・公開し、資料館なども併設され現在に至ります。司令部壕の地上は公園となっており、「海軍戦没者慰霊之塔」が建立されています。沖縄県知事よりの献花などもあり、手を合わせ軍民・日米すべての犠牲者を慰霊しました。