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令和3年2月25日 二・二六事件85年 事件刑死者・犠牲者慰霊

 昭和11年の2月26日に発生した陸軍青年将校らによる二・二六事件から85年を明日に控え、事件で刑死した青年将校らの慰霊像や墓所をお参りしました。

二・二事件慰霊像

 「二・二六事件慰霊像」は、青年将校らや事件の「首魁」と見なされた北一輝などが死刑判決をうけ刑死した陸軍刑務所跡(現在のNHK付近)に建っています。

 この慰霊像は、昭和40年に事件刑死者らの遺族・関係者による集まりである「仏心会」により建立され、刑死者のみならず、自死者、また青年将校らに命を奪われた重臣や警察官も慰霊しています。

二十二士之墓

 麻布の賢崇寺の墓地に建つ「二十二士之墓」は、事件で刑死した青年将校ら22人の墓です。

 事件後、警察や憲兵の圧力もあり、刑死した青年将校らを葬ることが難しい状況にありました。そうしたなかで様々な縁により賢崇寺に葬られ、現在まで丁重に弔われています。

 特に2月26日は刑死者ばかりでなく、慰霊像同様、事件で命を奪われた重臣や警察官なども含めた法要がおこなわれているそうです。

北一輝先生之墓

 目黒不動尊(瀧泉寺)の墓地に建つ「北一輝先生之墓」は、北一輝の故郷佐渡の大安寺の墓所とともに北が葬られています。

 北は事件の「首魁」として検束され刑死します。北が事件に全く関与していなかったということはできませんが、北が「首魁」として事件を計画し、指導し、実行していったとはいえず、弟子の西田税とともに有罪・死刑の結論ありきの裁判により刑死しました。

磯部浅一 妻登美子之墓

 小塚原回向院の墓地に建つ「磯部浅一 妻登美子之墓」には、元陸軍一等主計(大尉相当)で事件に参加し刑死した磯部浅一と妻の登美子が葬られています。

 磯部が獄中で記した日記や手記など獄中記が今に伝わっていますが、そこには昭和天皇を激しく叱責する文言が散見される一方、「陛下に直通することが第一番です」「今となっては、上御一人に直接に御すがりするより他に道はないと思います」といった昭和天皇への希求や渇仰が記されており、磯部の忠義の心の激しい揺れ動きを読み取ることができます。

令和2年8月19日 「北一輝先生之墓」「二十二士之墓」墓参

令和2年2月26日 二・二六事件84年 磯部浅一・登美子夫妻墓参