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令和2年2月26日 二・二六事件84年 磯部浅一・登美子夫妻墓参

 二・二六事件より84年のこの日、事件の中心的メンバーの一人である「菱海」磯部浅一と妻の登美子の墓をお参りしました。

 磯部は陸軍一等主計を務めましたが、青年将校および陸軍士官学校生徒らによるクーデター未遂事件(陸軍士官学校事件)に関連し、陸軍大尉村中孝次とともに免職となります。その後、やはり村中らとともに二・二六事件に参画し、陸軍大臣官邸の占拠などを敢行し、逮捕・処刑されます。

 磯部が獄中で記した日記や手記など獄中記には、「陛下に直通することが第一番です」「今となっては、上御一人に直接に御すがりするより他に道はないと思います」といった昭和天皇への希求や渇仰が記される一方、激しい叱責の文言も散見されるなど、昭和天皇をめぐる磯部の揺れ動く心情が記されています。

 こうした磯部、そして青年将校らの天皇をめぐる心情の揺れ動きは、天皇を絶対化した国体論に内在される問題でもありました。一方で、それは国体論という枠組みのなかでの問題であり、天皇へのある種の信仰そのものが否定されるわけではありません。それとともに、こうした青年将校らの天皇信仰は、同時に彼らの精神的指導者であった北一輝の天皇論とも乖離があり、二・二六事件について特に北の天皇論からどう見るかは様々な議論があります。

 ところで、こうした磯部らの激しい天皇信仰をモチーフとして、三島由紀夫は戦後、「英霊の声」という文学作品を発表しますが、戦後神道界を代表する言論人である葦津珍彦は、彼ら青年将校の心情を冷静に分析し、彼らを日本の忠臣の一つの典型とするなど日本精神史上への位置づけを試みつつ、他方で彼らの荒ぶる御霊は「英霊」ではなく「怨霊」であり、その鎮魂が必要であるとするなど、神道家として的確な批評をおこなっており、こうした葦津の指摘は現在においてもなお有効であると思われます。