亜細亜倶楽部

花瑛塾 亜細亜倶楽部は、亜細亜各地を巡り、戦跡や慰霊訪問などを積極的に行なっております。
また、海外から見た日本(島国)が国際社会の中でどのように映り、どういった立場であるのかなどを知る為に、各国の政治に関わる方々とお会いし、意見交換なども行なっています。

そのほか亜細亜各地にある華僑の運営による戦争ミュージアムでは、そのほとんどが日本人をあからさまに悪者に仕立て上げる演出などもあり、そうした戦争ミュージアムへの訪問や監視や直接の対話を重ね、先人の名誉を守る活動も行なっています。
同行をご希望する方は、予定を記した会報をご覧いただくか、問い合わせページへ連絡をください。

 

樺太神社 招魂祭 樺太死没者慰霊祭(旧豊原地区・ユジノサハリンスク)

旧樺太神社跡地

慰霊祭の様子はNHKでも放送されました。

この後、死没者合同墓地を清掃致しました。

 

ペナン・ペナン戦争ミュージアム(マレーシア)

マレーシアの研究チームと資料を元に意見交換。

ペナン戦争ミュージアムでは、日本人がいきなりやってきて人を殺しまくっていたと説明してくる。よくよく現地の方と話をして調べたところ、このペナン戦争ミュージアムは北京から支援があり、現地のマレー人もここのミュージアムはあまりにもやりすぎで、作りものが多い(ミュージアム側は全て当時のままだと主張)ため、ミュージアムへ修正するように呼び掛けている。

 

忠烈祠 見学(台湾・台北)

忠烈祠には戦没者が祀られており、御本殿の向かって左側は孫文、右側は祖先がお祀りされています。

 

高砂義勇軍 瀑布公園(台湾・鳥來)

 

台風被害のあった高砂義勇軍の石碑を見て感謝と追悼の意を伝えに鳥來の山を登った。台風による被害で一般の人は碑のある公園内に入れないと言われたが、追悼をしたいと伝えて許可をいただき、入ることが出来た。土砂で崖崩れなどがあり途中で雑草をかき分け進むが、道がなくなりそれ以上先は断念した。しかし、銅像を前に一礼をすることが出来たので良かった。一度行った方ならこの悲惨な状況がわかると思う。なんとか銅像そのものはコンクリートに移動させられていて今も残っているが、歌が書かれた土台は破壊されたそうで、欠けらもなかった。銅像が元々あった位置には木札が建てられてる。

 

二二八紀念館(台湾・台北)

 

台湾全土が混乱し、犯人処罰の要求を目的としていた二二八事件は、政治改革運動に発展した。展示品には’蒋介石二二八元凶’という横断幕を持ったデモ隊の露骨な写真などもあり、権力を持つ側に対する国民が抱く不審不満は、どこの国も民主化への第一歩になっており民主主義国家でありながら置き去りにされがちの沖縄に対する思いをさらに深く考えさせられた。 時は今、国家権力による横暴が繰り返される沖縄を、冷静な目で着目すべきではないだろうか。

 

コタバル・サバク海岸 戦跡見学(マレーシア・コタバル)

 

大東亜戦争の火蓋が切られたコタバルのサバク海岸を見学した。真珠湾よりも約2時間前に敵前上陸が開始された場所だ。多くの人々が命を失い、また失った命の分だけ救われた命もある。この戦争に賛美や批難をすることは簡単だが、賛美や批難が出来る今を堂々と生きることが出来るのは、紛れもなく命を懸けて戦った英霊がいたからだ。まずは感謝し祈ることが先決だ。

   日本軍はこのサバク海岸からシンガポールへ南下するにあたり、いくつかの戦跡碑を残している。その中の一つの碑がマチャンという町の中等学校にあり、今もなお学校側が綺麗に管理し続けてくれていた。聞けば何て書いてあるのかもわからない上に、何を意味するのかもわからないということだったが、日本人には救われた過去があるということで残して管理しているという。翌年の12月8日に、私たち花瑛塾はこの中等学校を再度訪れ、感謝状と記念品を贈呈致しました。

 

 

この日の様子をマレーシアのローカル紙が記事にしています。

以下、記事の翻訳です。

日本の非政府組織のメンバー2名がマチャンにあるハムザ学校における記念碑の情報を集めました。この第2次世界大戦中の逸話が記録された碑はハムザ学校敷地内に戦いのストーリーを刻む歴史的記念碑として、特に若い世代に対してシェアされ保存されています。
多くの人はこの碑の存在を気にすることもないかもしれませんが、特に若い世代にとってはこれの歴史的価値は高いものです。
最近この碑が日本の非政府組織を惹きつけたことも驚くことではありません。2名のメンバーが日本とタイを代表してケランタン州の歴史愛好会の協力によってこの碑を訪問しました。メンバーの1人の訪問の目的は、その碑を確認し、何が記録されているかを知ろうとしたことであり、さらにメンバーのもう1人は第2次世界大戦の足跡につき更に情報を得ようとしており、その上で歴史は特に将来を担う世代がこのイベントを知る為に保護されるべきであると述べました。また「私たちはハムザ学校を含む全ての人たちが協力することに感謝します。この碑がハムザ高校により維持されていくことを願います。それはマレーシアの人の為だけではなく日本の為にもなります」とも述べました。
またケランタン歴史愛好会の長であるハッサン氏も参加し、両者は訪問中、碑に書かれている内容を翻訳しました。その意味は昭和41年12月12日の11時に那須連隊が戦った場所であるとのことです。<実際は同地を那須部隊が英軍から解放し占領した記念碑―訳者註>
同時にハッサン氏は自分は様々な団体、特に歴史愛好家と共に活動し、ケランタンの歴史遺産を共有していく、と述べました。彼は、ケランタンには数多くの魅力的な第二次世界大戦時の歴史イベントがあると述べ、他にもトーチカなども含め残されたものがあると述べました。

 

プーケット王妃姉妹像見学 (タイ・プーケット・タラン群)

1785年のビルマ軍の侵攻からプーケットを守ったという王妃姉妹(ヒロインズ)の像。王様が不在の国家で、統制のとれずにいたプーケットをそれでも守りたいと自ら剣を持って王妃とその妹は「この国を奪われてたまるか」と戦った。そしてその姿勢に民は続いたのだ。この銅像はプーケットの中心部であるタラン群の交差点のど真ん中に建っている。「日本は島国という土地柄、歴史的に敵はいつも海岸から来る」とは塾長が言葉ですが、プーケットもそうだった。国(島)と平和を守るための戦いはいずれも海辺で行われてきた。私たちは史実を元にこうした戦いを学ぶのではなく習い、沖縄や日本も戦わない為の戦いは、率先して戦うべきだ。ヒロインズ像のように自ら剣を持ち、他力本願ではなくこの国を守るのは自分しかいないという心意気で過ごそうではないか。しかし残念なことに、プーケットの観光地化は進み、世界的に生産率の高かったゴムの木は減少し、プーケットの土地の歴史に詳しい人も数少ないとのことだ。