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令和2年10月12日 浅沼稲次郎没後60年 「浅沼稲次郎之墓」墓参

 日本社会党委員長浅沼稲次郎氏没後60年の今日、昨年に引き続き浅沼氏のねむる「浅沼稲次郎之墓」を墓参しました。

 浅沼氏は明治31年に三宅島に生まれ、早稲田大学に入学しました。早稲田では社会主義思想を信奉し、雄弁会で活動しました。そして卒業後は社会運動の道を進むようになりました。

 社会運動家としての浅沼氏は官憲による徹底的な弾圧をうけ、関東大震災では「主義者」として陸軍に連行され、暴行をうけることなどもありました。

 そうしたなかで浅沼氏は昭和11年、衆議院議員選挙に当選します。以後、紆余曲折あり、一時は議員の道をあきらめることもありましたが、戦後も一貫して政治家として活躍しました。「革新の旗手」といわれるほどの強い信念の持ち主であり、また「演説百姓」といわれるほど貧しい暮らしをしながら日本各地を遊説し続けましたが、昭和35年10月12日、今から60年前の今日、右翼少年山口二矢に刺殺されました。

 浅沼氏の墓は多磨霊園内にあり、妻享子氏とともに眠っています。「人間機関車」ともいわれた浅沼氏の大きな体と闘魂をあらわすように、浅沼氏の墓は非常に大きな墓でした。

 浅沼氏の墓を清掃し献花、しばし浅沼氏に慰霊・鎮魂のまことを捧げました。

 なお浅沼氏刺殺事件当時、神道言論人葦津珍彦は事件を繰り返し論じ、古今東西の「政治と暴力」の問題について考究していますが、一方で「人間浅沼の命を断つことの道徳責任」についてもしっかりと視点を置いて議論しています。

葦津珍彦は山口二矢による浅沼稲次郎刺殺事件をどう論じたか─非合理なるものへの憧れと、政治とテロとの宿縁