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令和3年9月24日 西南戦争終結の日 西郷隆盛「留魂祠」参拝

 西南戦争における城山の戦いで西郷軍が壊滅したこの日、洗足池湖畔に鎮座する西郷隆盛「留魂祠」を参拝しました。

洗足池湖畔に建つ留魂祠

 明治10年(1877)にはじまった西南戦争では、熊本城攻略戦や田原坂の戦いなどを経て西郷軍の敗勢が色濃くなっていきました。そして戦争末期、西郷軍は鹿児島の城山に籠城、この日最後の攻撃を敢行し、西郷隆盛が自刃するなど壊滅しました。

 江戸無血開城などで西郷と知己にあった勝海舟は、西郷の死を悼み、西郷の漢詩を刻む石碑を建てるとともに、「留魂祠」を建て、西郷の魂魄を招魂して祀りました。

 石碑と祠は当初、葛飾の薬妙寺内にありましたが、勝没後、勝の遺志により洗足池湖畔の勝夫妻の墓の横にうつされ今日に至ります。

 神道言論人葦津珍彦は「永遠の維新者」のなかで、近代国家の軍に対し市民軍必敗の法則を解説し、西郷軍に勝算のなかったことを冷徹に指摘しつつも

西郷の死は、旧時代の最後なのではない。中道の俗流ゴールに決して定着することなく、永遠の維新を目ざして戦う戦士の心中に猛進の精神をふるい起こさせる英雄詩である。永遠の維新には敗北もなければ挫折もない。

「永遠の維新者」の情念は、事にふれ、折にふれては生きつづけて、明治史の理想と現実の底流に大きな影響を及ぼしていった。明治史だけにとどまらない。それはいまもなお日本人の心の底に、消えることなき埋火のごとく生きつづけているのではないか。

 と西郷と西郷軍の英雄詩を称えていますが、私たちもこの英雄詩を忘れず継承していきたいと思います。

留魂祠

 他方、今でこそ葦津のいうように英雄として語られる西郷ですが、西南戦争当時にあっては、一大反逆者として政府からも新聞などジャーナリズム、言論界からも徹底的な非難を浴びました。

 そうした風潮のなかで、慶應義塾創設者の福沢諭吉は、その抵抗の精神、自主独立の精神、独立自尊に基づき、西郷隆盛を称え、西郷を西南戦争へ決起させた明治新政府やこれに追従する当時のジャーナリズム、言論界を批判する「明治十年丁丑公論」を著しました。

 正しきものは誰が何といおうと正しく、間違っているものは誰が何といおうと間違っている。こうした西郷の英雄詩をめぐる福沢の抵抗の精神、自主独立の精神、独立自尊の精神もまた、現代において私たちが継承していかねばならないものと思います。

令和2年9月24日 西郷軍壊滅の日 南洲西郷隆盛「留魂祠」参拝