菅首相は今日3日、自民党臨時役員会において、同党総裁選への出馬の見送りを表明した。事実上の退陣表明であり、昨年9月16日に発足した菅政権は、ついに終焉を迎える。
もともと菅首相は、総裁選への出馬を表明しており、引き続き政権を担うつもりであった。しかし急降下を続ける内閣支持率や横浜市長選挙など各種選挙の敗北もあり、政権の求心力は低下していた。自民党岸田文雄前政調会長も総裁選への出馬を表明しており、同党中堅若手ばかりでなく派閥領袖クラスも含め党内は動揺し、新しい「顔」を求め権力闘争が展開されていた。
菅首相も総裁の座にしがみつき、政権を延命させるため、権力闘争の渦中でなりふり構わぬ攻勢を仕掛けていた。
そもそも菅首相の狙いは、パラリンピック閉幕後ただちに解散総選挙を行い、総裁選を無投票で乗り切るものであった。それが難しくなり総裁選の日程が組まれた後もなお、解散総選挙を行い総裁選を吹っ飛ばすことを目論んでいた。
また岸田前政調会長が党役員の任期を1期1年連続3期までとし、二階幹事長の事実上の更迭を主張し党内の支持を得ると見るや、対抗するように二階幹事長の交代を含む党役員人事の刷新、さらには内閣改造まで行おうとした。
しかし解散総選挙により総裁選を吹っ飛ばすこともままならず、最後はこの人事の問題が退陣の決定打となった。求心力を失い、泥舟と化した菅首相の周囲から人は離れ、党役員就任を求めても誰も受けなくなっていった。幹事長の受け手も見つからず、さりとて二階幹事長を続投させるわけにもいかず、全てが行き詰まり、政権の座を投げ出さざるを得なくなったのである。
こう聞くと、自民党内の権力闘争により菅首相が退陣に追い込まれたかのようであるが、けしてそうではない。もちろん直接的には党内の権力闘争の結果であるが、わずか一年前に圧倒的多数の支持を得た菅首相を追い込んだのは、ただの権力闘争の力学だけでない。先に述べた内閣支持率の低下、選挙の敗北といった菅政権への人々の強い不満や不信感が菅首相のままでは自民党が持たない、有権者の審判に堪えられないという党内の危機感を生み、権力闘争につながっていったのだ。
現実に各社の選挙予測の結果は、自民党の単独過半数割れを示している。ただの権力闘争ではなく、政権交代、自民党下野という切羽詰まった情勢がそこにあった。
それほどまでの菅政権への人々の強い不満や不信感は、言うまでもなく菅政権発足直後の学術会議会員の任命拒否に始まり、汚染水海洋放出の決定、沖縄基地問題、無為無策のコロナ対策、五輪パラの強行、アフガン撤退問題など、菅政権の数々の失政悪政によるものである。
つまり菅政権は、自らの失政悪政により行き詰まったあげく、ワクチン接種さえ進めば大丈夫、五輪をやれば政権が浮揚する、党役員人事を刷新すれば、内閣改造をやれば、解散総選挙を行えば、などと空手形をきりまくり、結局は進退窮まってどうにもならず、政治的に「破産」したのである。
菅首相は、今月29日の新総裁選出をもって総裁を交代し、首相も辞任するとのことだ。その後は、おそらくただちに首班指名選挙、組閣、天皇陛下による任命と続き、時期を見て解散総選挙となると見られる。
安倍前首相の辞意表明後、なぜか「お疲れ様相場」で内閣支持率が上がった。そして菅政権発足後も「ご祝儀相場」やパンケーキだ何だとのメディアによる囃し立てにより内閣支持率は好調であった。今回もおそらくそのようになり、新総裁新首相は好調な内閣支持率のまま総選挙を迎えるであろう。
自公政権が続く限り、安倍政権そして菅政権と続いてきた失政悪政の連続は、根本的にはかわらない。政権交代しかない。
あらためて野党は共闘し、連合政権の政権構想を高々と掲げ、選挙協議をし、政権交代を実現しなければならない。
奇しくも明日9月4日は、あの悲しむべき沖縄少女暴行事件から26年の日である。自民党の「顔」がかわっただけでは、沖縄の基地負担はかわらない。新基地建設は止まらない。共闘の力で政権交代を実現しよう。