未分類

長期にわたり好調を維持する沖縄経済と支配の言説としての「基地経済」

52ヵ月連続の景況拡大

 りゅうぎん総合研究所とおきぎん経済研究所は先月28日、5月の沖縄県内の景況を発表した。沖縄県内では個人消費や建設関連が好調であり、はしかの流行による落ち込みがあったものの観光関連も好調な動きを継続し、りゅうぎん総合研究所は45カ月連続で「拡大の動きが強まる」、おきぎん経済研究所は52カ月連続で「拡大している」と判断するなど景況拡大が続いている。

 また今月2日には沖縄国税事務所が相続税などの算定基準となる今年分の県内路線価を公表し、路線価が4年連続で上昇し、上昇幅も拡大していることが明らかとなった。

 1日に発表された日銀短観では全国的な景況感が2期連続で悪化したことが判明したが、それに比べると沖縄経済は非常に好調であることがよくわかる。今後も沖縄経済が好調であると断定することはできないが、「所得が低い」「失業率が高い」「経済的に自立していない」などといわれ続けた沖縄が、「本土」に比して少なくとも4年から5年にわたって好況を維持してきたことは銘記されるべきだ。

基地経済とはなにか

 米軍専用施設の約7割が集中している沖縄では、その過重な基地負担の軽減が県民共通の願いである。一方で、沖縄で基地撤去や基地負担軽減の声が高まると、「本土」から「沖縄は貧しく、基地経済がないと成り立たないんだ」「基地に関連した補助金をもらっているくせに」といった非難がなされる。しかし、それは事実に即しているのだろうか。

 そもそも基地経済とは、正確には「基地関連収入」といい、軍用地料、軍雇用者所得、米軍などへの財やサービスの提供からなる。沖縄県によれば、これら基地関連収入が沖縄経済に占める割合は現在5%ほどであり、それは沖縄の観光収入の半分の規模でしかない。基地撤去を主張すると、ほぼ例外なくこの基地経済が話題となり、「だから基地は撤去できないのだ」「だから基地は必要なのだ」といわれるが、少なくとも現在、基地経済は沖縄経済にそこまで大きな影響力を持っていない。

 軍用地料にしても、大半の軍用地主の地料は年間100万〜200万円程度というのが実態である。基地撤去に関する懸案が軍用地主の所得確保であるならば、軍用地料がこの程度の規模とすると何らかの補償を行い、軍用地主の所得を確保したとしても大きな問題とはならないのではないだろうか。

 もちろん基地を撤去しても、基地の跡地が空き地となる訳ではない。跡地は再利用され、道路が設置され住宅が建つこともあるだろう。あるいは農地になったり、公園や学校など公共施設が建設されることも考えられる。大型の商業施設が建設されることもあるだろう。いずれにせよ跡地利用により軍用地主の所得も確保され、さらに新たな雇用も発生し、経済発展に寄与することになる。

 軍雇用者の所得についても、現在の被雇用者をリストラする必要はない。そもそも基地撤去も現実的に一気にすすむものではないのだから、基地返還・跡地利用が少しずつすすむなかで新規雇用を打ち止め、軍雇用者の所得を確保しつつ自然減を待つという方法もある。

基地撤去・跡地利用の成功例と失敗例

 1976年にハンビー飛行場が返還された北谷町では、跡地が大規模な商業地として利用され発展している。那覇新都心なども1987年に返還された米軍牧港住宅地区の跡地を利用したものであり、こちらも現在では大規模な商業地として賑わっている。

 実際に沖縄県は、広大な米軍基地が沖縄発展の大きな制約となっており、今後、米軍再編による大幅な兵力削減や基地返還が進めば、基地経済への依存度はさらに低下していくとの見解を示している。

 基地撤去・跡地利用の「失敗例」もある。例えば本部町にあった上本部飛行場は、返還後長いあいだ手つかずとなり、跡地利用が進んでいないため、上本部飛行場の事例は基地撤去・跡地利用の「失敗例」として基地撤去論への反論として引き合いに出される。

 しかし、上本部飛行場の事例は、かなり特殊な事例である。上本部飛行場は滑走路の路盤にコーラル・サンドといわれるサンゴ礁を粉砕した岩石を含んでいたが、沖縄「本土復帰」以前に返還された飛行場ということもあり、返還の際に現状復帰がなされなかった。このため硬い滑走路がそのままとなり、跡地利用を難しくした。

 さらにやっかいなことに上本部飛行場跡を海上自衛隊の通信施設とする計画が浮上するなどした。当然、戦争の記憶がいまだ癒えない地元住民が反対運動を展開し建設計画は頓挫するが、これにより同地は長期間手つかずとなってしまう。

 現在では上本部飛行場跡は本部町が買収し、オキハム関連の農業法人が進出するなど跡地利用も進んでいるが、ともあれ上本部飛行場跡は、基地撤去そのものが不可能であることを証明する「失敗例」ではなく、現状復帰なしの基地返還や自衛隊基地建設という米軍・日本政府の対応に問題があったのであり、今後の基地返還・跡地利用における反省材料として活かすことができる。

国からの補助と米軍基地

 沖縄は基地があることにより国から補助・支援を受けているのだともいわれるが、それは正確ではない。

 確かに政府は3千億円規模の「沖縄振興予算」を組み、それが沖縄に交付され、またその予算をもとに国が事業を行ったりしているが、地方自治体が国から予算を得るのは沖縄に限った話ではない。どの自治体もほぼ例外なく国から予算を獲得しているし、沖縄が突出して他の自治体より多く予算を得ている訳でもない。

 そもそも沖縄振興予算の根拠は、米軍基地が集中する「迷惑料」ではなく、離島や長期にわたる米軍施政権下といった諸事情を考慮したものであり、北海道などにも適用されている。米軍基地を撤去すれば、他の自治体には引き続き予算を交付するが沖縄には交付しない、というのでは、それはまさしく差別であり、沖縄の地域性や歴史的な特殊性に鑑み、基地撤去後も沖縄のために国は引き続き他の自治体と同様に支援・補助を行っていくべきである。

 さらに考えるべきは、米軍基地は法律上、原則的に日本政府が地権者から土地を借り、それを米軍に提供するというかたちになっており、軍用地料は日本政府が税金で支出しているという事実である。また「思いやり予算」で軍雇用に関する諸経費も実質的には日本政府が負担している。つまり基地経済とは日本政府の税金によって作り出されているともいえる。そうであれば基地撤去後も政府が現状の基地経済規模の支援・補助を沖縄に行えば、基地撤去は経済的な面からも可能といえる。

 過去に基地経済に財政的依存度を高めた名護市では、実際には市債発行が上昇し失業率が増加したこともあったといわれている。繰り返すようだが、基地が返還された北谷町は基地の跡地利用により税収も雇用も増えた。「基地経済のために基地は必要」という議論は見直されなければならない。

支配の言説としての「基地経済」

 沖縄戦によりあらゆるものが破壊され、さらにその後の米軍施政権下で「本土」の戦後復興や高度経済成長から切り離された沖縄にとって、戦後しばらくは基地経済に依存するしかなかった。その意味で基地経済とは「本土」と米軍によって強制されたものといえる。「基地経済がなければ沖縄は成り立たない」というのならば、「なぜそうなったのか」を「本土」は考えるべきである。

 これまでの経緯を鑑みれば、政府が沖縄へ支援・補助を行うのは当たり前であり、経済を人質として基地を押しつけるようなものであってはならない。

 さらに沖縄の県民所得が低いといっても、沖縄県と同等程度に低い県は複数あり、沖縄だけがその貧しさをやり玉にあげられる理由はない。「基地はいらない」という当たり前の声をあげると、なぜ沖縄にだけ「経済的自立」などという難題をつきつけるのだろうか。それは基地経済が基地を押しつけ、固定化する支配の言説となっているからである。

 しかし、沖縄はいまや好景気が続く。この好況と基地経済はまったく関係がない。基地経済に関する事実と正論を説き、そして現実に沖縄に訪れているこの好況をもって、支配の言説としての「基地経済」が無効となることを願っている。