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令和2年1月14日 「葦津家之墓」墓参

 戦前の神道家・実業家、そして言論人である葦津耕次郎、およびその子珍彦の眠る「葦津家之墓」を墓参しました。

 葦津耕次郎は明治11年(1878)、筥崎宮の神職である父磯夫と母とらの次男として福岡県箱崎の地に生まれ、筥崎宮に奉職し神明奉仕に励み、後には鉱山業や社寺建築業を営む実業家として活躍する一方、朝鮮神宮御祭神論争など神道・神社の見地から時の政治・社会問題に発言する言論人としても活躍し、昭和15年(1940)に亡くなりました。

 珍彦は明治42年(1909)、そんな父耕次郎と母ナニハの長男として生まれ、戦前は時にアナキズムや社会主義の思想に親しむも、耕次郎の跡を継いで社寺建築業を営みながら、神道的言論人として戦争に向かう時の政治を厳しく批判、戦後は神社本庁の設立に尽力し、活発な言論活動を展開しました。その言論は各方面に多大な影響力を有し、雑誌『思想の科学』の中心的人物である哲学者の鶴見俊輔と親しく交わったことはよく知られています。

 珍彦は平成4年(1992)に亡くなり、戦前より居を構えた鎌倉の地に耕次郎とともに(母ナニハや珍彦の妻テルも同じであろうが)「葦津家之墓」に眠っています。