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[戦争遺跡見学]陸軍野戦砲兵学校、陸軍工兵学校関連遺跡(千葉県四街道市、松戸市、銚子市)

 千葉県四街道市および松戸市、銚子市にある戦争遺跡ならびに記念碑や関連の地を見学しました。

「日本砲兵揺籃の地」記念碑

 四街道市にある「日本砲兵揺籃の地」記念碑は、砲兵の戦術や射撃の研究をする軍事学校である陸軍砲兵射的学校跡地に建てられた記念碑です。幕末、佐倉藩は砲術訓練のために下志津火業所を設置し、四街道市の下志津原を射撃場としました。明治政府は射撃場を買収し、下志津火業所の跡地に陸軍砲兵射的学校を設立しました。

「日本砲兵揺籃の地」記念碑
陸軍野戦砲兵学校跡 

 上述の陸軍砲兵射的学校は後に陸軍野戦砲兵射撃学校と改称され、付近に移転しました。その後、陸軍野戦砲兵射撃学校は陸軍野戦砲兵学校に改称され、訓練内容も拡大するとともに、学校の周囲には砲兵部隊や軍事病院も設立され、一帯は「軍郷」となっていきました。また高射砲の重要性が意識されるなかで、陸軍野戦砲兵学校内に防空学校が設置されることもありました。

 昭和17年(1942)には陸軍野戦砲兵学校内に生徒隊(通称:少年砲兵)が開設され、15歳~17歳前後の少年が下士官候補として養成されましたが、彼らは後に南方戦線に送られ、ほとんどが戦死したといわれています。

陸軍野戦砲兵学校跡にある砲弾
陸軍工兵学校跡

 陸軍工兵学校跡は、千葉県松戸市にある陸軍工兵学校の歩哨舎や正門などの関連遺跡です。陸軍工兵学校は第一次大戦により軍備の近代化の必要性を痛感した軍が大正8年(1919)に設立した日本唯一の工兵学校です。当初、現在の印西市に設置される予定でしたが、交通の利便性などから現在地に設置されました。当時、現在地には競馬場があり、この競馬場は現在の船橋市の中山村に移転しましたが、これが中山競馬場の淵源と思われます。

陸軍工兵学校歩哨舎跡
八紘石腸隊「翔天の碑」

 八紘石腸隊「翔天の碑」は、千葉県銚子市にあった陸軍銚子飛行場跡に建立された特攻隊の記念碑です。陸軍航空特攻隊の八紘石腸隊は陸軍銚子飛行場を飛び立ち鹿児島の知覧、沖縄の伊江島や石垣島を経由して台湾に行き、フィリピン・レイテ沖での特攻作戦に参加したといわれています。なお特攻隊員以外にも陸軍銚子飛行場の用地買収で土地を失った人、勤労動員で亡くなった学生や飛行訓練中に事故で犠牲となった兵士もおり、その人たちにも思いを致しながら見学しました。

翔天の碑