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國學院大學学術資料センター研究フォーラム「戦前・戦後の沖縄写真―画像アーカイブの意義と活用―」

 この日、國學院大學学術資料センター研究フォーラム「戦前・戦後の沖縄写真―画像アーカイブの意義と活用―」を拝聴しました。

 このフォーラムは、琉球・沖縄に関する大量の写真や映像を読み解き、琉球・沖縄の美術や芸能や祭祀などの理解・継承に努めるとともに、写真や映像を資料として位置づけ、その保管・公開などについて検討するものであり、4人の報告者からの報告と討論が行われました。

 最初の報告者の小川直之氏(國學院大學教授)からは「折口信夫の沖縄民俗採訪と写真」と題し、琉球・沖縄の祭祀や伝承に多大な関心を有した天才的な民俗学者・折口信夫が生涯三度行った沖縄採訪旅行に関する沖縄の写真やスケッチを紹介するとともに、その保管・公開の取り組みについて報告・発表がありました。折口は沖縄で多数の写真を撮影し記録に残しているとともに、沖縄から東京の友人などに多数の絵葉書を送っており、それが残されていることにより貴重な資料となっています。

1966年の久高島でのイザイホーの様子(映画「イザイホー」より)【中日新聞2016年9月10日】

 次の報告者の粟国恭子氏(沖縄県立芸術大学附属研究所共同研究員)からは「鎌倉芳太郎と写真―琉球芸術写真の文化史」と題し、戦前の沖縄の写真を大量に撮影した美術家・鎌倉芳太郎の写真の解説と、その保管や公開の状況について報告・発表がありました。鎌倉の沖縄関連写真は重要文化財にも指定されるなど注目を集めていますが、その理由の一つとして鎌倉の写真は首里城正殿や各寺社、王家関連の美術品など、王国の歴史を記憶するものであるかということがいえます。また、沖縄関連写真の位相(ポジション)について、鎌倉などの喪われた文化を写し出す位相、民俗学者による日本文化の「古層」を沖縄に見る「南島的」な位相、あるいは東松照明らによる越境する視点・アジアから俯瞰する位相を抽出し、これら三者が交叉しながら「沖縄文化」の認識は続くとされました。

 次の報告者の齋藤ミチ子氏からは「久高島・1978年度のイザイホー写真」と題し、久高島(沖縄県南城市)で12年に一度行われる伝統的な神人の就任儀礼「イザイホー」について、撮影した画像と聞き取り調査の内容をもととした解説がありました。イザイホーは1978年に行われて以来、今日まで行われていません。直接的にはイザイホーを行う継承者が絶えたことを理由としますが、その背景には島の祭祀・文化を支えていたクニガミが途絶え、ソールイガナシが空席となるなど、島内の男女それぞれの組織が消滅したことがあげられるとともに、島の近代化と新たな価値観や生活・文化の流入が考えられます。

 最後の報告者の狩俣恵一(沖縄国際大学特任教授)からは、「竹富島・種子取祭芸能の継承と映像について」と題し、竹富島など八重山諸島の祭祀・儀礼における「服装」について、琉装から和装へ、さらに和装から琉装へという変遷を映像資料で確認するとともに、その背景にある王国の士族の消滅と近代国家の官吏による祭祀・儀礼への関与、および祭祀・儀礼参加者の共感などの解説がありました。

 その後、映像資料の保管・公開や今後の活用などについての討論を拝聴しました。