昭和20(1945)年8月15日正午、ポツダム宣言受託を国民に告げる終戦の詔書を読み上げる玉音放送がラジオ放送されました。連合国には既に前日14日にポツダム宣言受託の旨は通知されており、正式な降伏調印は翌月9月2日に行われ、沖縄や北方地域あるいはアジア各地では8月15日以降も戦闘が継続されましたが、先の大戦の一つの大きな節目は8月15日に他なりません。
この日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とされ、政府主催の全国戦没者追悼式において天皇陛下がお言葉を述べられます。「戦争の記憶の継承と慰霊」を掲げる花瑛塾では14日と15日、各所で先の大戦にて戦陣に散った戦没者と戦禍に倒れたすべての犠牲者を慰霊・追悼し、世界の平和を祈念しました。
14日、千鳥ヶ淵戦没者墓苑にて行われた第53回戦争犠牲者慰霊並びに平和祈願式典に参列しました。
この式典は新日本宗教青年会連盟によるもので、新日本宗教団体連合会や新日本宗教青年会連盟加盟の新宗教系各宗教団体が教義や信条の違いを乗り越え、戦争犠牲者を慰霊し、「絶対非戦」を誓うものです。
各宗教・宗派が合同しつつ、それぞれの作法・所作をもって慰霊・礼拝をする様子から、真摯な慰霊と平和への思いを感じました。各宗教・宗派の信者による礼拝・追悼ののち、一般参列者の礼拝・追悼が行われました。参列者のなかには、新宗教系のみならず伝統宗教など宗教界や宗教学者など学界からの参列者はもちろん、大島理森衆議院議長や加藤勝信厚生労働大臣、枝野幸男立憲民主党代表など政界からも多数参列があり、国民的な慰霊のあり方を思いました。
またこの日、埼玉県護国神社清掃奉仕の会による埼玉県護国神社「みたま祭」の準備奉仕に参加し、境内の清掃や設営、飾り付けなどを行いました。また14日はみたま祭前夜祭が行われ、参列しました。前夜祭では手作りの行燈が奉献された他、奉納演奏なども行われ、遺族を中心に心のこもった慰霊が行われました。
15日は、埼玉県護国神社(埼玉県さいたま市)および静岡県護国神社(静岡県静岡市)を参拝しました。
埼玉県護国神社では、毎年終戦の日に行われている「みたま祭」に参列し、同社本殿にて昇殿参拝しました。昨年は生憎の雨でしたが、今年は天気もよく、埼玉県出身の殉難者遺族を中心に多数の参列がありました。祭典では童謡の奉納や正午の時報とともに黙祷なども行われ、同社御祭神をお慰め申し上げました。
静岡県護国神社では13日より15日までの3日間、「万灯みたま祭」が行われ、御祭神をお慰め申し上げることから、境内には奉納された提灯が多数飾られ、たくさんの人が参拝に訪れていました。なお同社社務所2階には戦没者遺族より寄せられた戦争に関する遺品を収蔵した遺品館などもあり、戦争の記憶の継承と慰霊の施設ともなっています。
またこの日、靖国神社(東京都千代田区)を参拝しました。
同社は明治2(1869)年に東京・九段に創建された東京招魂社を起源としますが、明治元年の太政官布告と江戸城西の丸広間で執行された東征大総督・有栖川宮熾仁親王らによる官軍将兵の招魂祭をさらなる淵源とします。これらは人霊祭祀や招魂祭祀といった当時にあっては革新的な神学に基づく祭祀であることにも注意が必要です。
戦前の靖国神社は実質的に陸軍省主管の国家的な神社でしたが、戦後は単立の神社として祭祀を継続しています。例年8月15日には戦没者遺族を中心にたくさんの参拝者が訪れますが、この日も多くの方が参拝に訪れた他、「全国戦没者追悼式」での黙祷に合わせ、参拝者全員で黙祷を執り行い、天皇陛下のお言葉を拝聴するなどしました。
一方で、玉音放送があった今日以降も沖縄はじめ各地で戦闘が続き、アジアの混乱や悲劇もこれ以降に高まっていきます。今日という日を様々な視点から振り返り、今後の平和を希求していきたいと思います。