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沖縄県翁長雄志知事の訃報に接して─命がけの姿と言葉に向き合う─

病躯をおして県民の先頭に立つ

 今月8日、沖縄県の翁長雄志知事が浦添市内の病院でお亡くなりになりました。67歳でした。昨日10日に通夜がおこなわれ、13日には告別式がいとなまれます。また県民葬なども予定されているとのことです。心より哀悼の意を表します。

 翁長知事は、今年4月にすい臓がんの切除手術を行い、公務のかたわらがん治療を行っていましたが、がんは肝臓へ転移し、今月7日には意思決定が難しい状況になっていたそうです。8日、謝花喜一郎副知事が「翁長知事は意識混濁状態である」と説明しましたが、その日のうちに不帰の人となりました。

 翁長知事は4期にわたり那覇市長を務めましたが、市長時代の2006年に初期の胃がんが見つかり、胃の全摘手術を行っています。それ以降ごく最近までお元気そうでしたが、すい臓がんを公表した今年4月以降、誰の目にも翁長知事がやせ細っていったことは明らかでした。

 病と闘いながら辺野古新基地建設反対の先頭に立つ翁長知事の姿には、時に鬼気迫るほどの強い意志を感じました。特に今年6月23日の沖縄全戦没者追悼式では、翁長知事はがん治療により髪がぼろぼろとなった姿を公としつつ、沖縄戦の壮絶な体験と過重な基地負担を指摘し、平和を求める「沖縄のこころ」を述べましたが、翁長知事のその姿と発する言葉からは、文字どおり命をかけて辺野古新基地に抗う気迫が伝わりました。

「沖縄保守」の大政治家

 翁長知事は2014年11月、任期最末期で辺野古新基地建設の埋立工事を承認した仲井真弘多前知事を大差で破り、沖縄県知事に就任しました。知事選では辺野古新基地反対を掲げ、知事就任以降も一貫して新基地建設に抗い、建設を強行する政府を厳しく批判し、激しい戦いを繰り広げました。

2017年の沖縄戦全戦没者追悼式において、厳しい目つきで安倍総理を見つめる翁長知事(「沖縄の視線」【撮影:東京新聞記者沢田将人氏】)

 政府と鋭く対峙する翁長知事には、心ない誹謗中傷も寄せられました。「翁長知事は中国のスパイ」「翁長知事の娘は中国の大学に留学している」といった根拠不明のデマも流布され、「翁長知事は左翼」「反日」といった言葉がインターネットを中心に溢れかえりました。

 しかし翁長知事は、そもそも沖縄自民党の幹部であり、那覇市議、沖縄県議、那覇市長を歴任した沖縄保守政治家の代表的な人物です。さらに父は市長、兄は副知事も務め、出身も保守系政治家一家といえます。仲井真前知事の選対本部長を務めたこともあり、沖縄保守政界を中枢で支えていました。その翁長知事が旗頭となり「オール沖縄」として保守・革新・中道・リベラルが結集し、辺野古新基地建設に反対したことに大きな政治的意味があります。

 沖縄における保守・革新の区別はいまでもはっきりとしていますが、一方で「島ぐるみ闘争」「祖国復帰運動」などでは保革対立を乗り越えた統一行動が展開された歴史もあり、基地問題についても大原則としては保革ともに基地負担軽減の主張にかわりはなく、政策的にかなり近接しています。

 その意味で基地撤去や基地負担軽減の願いは保守や革新の区別ない県民の総意であり、沖縄の歴史的・政治的文脈における保守・革新の意味や県民の総意を踏まえることのない「左翼」「反日」といった翁長知事への誹謗中傷は、沖縄のことを何も知らない、何も知ろうとしない勢力の空疎な言葉といえます。

 翁長知事の新基地建設反対の主張は、「沖縄保守」として当然のものであり、また保守・革新の区別すらない愛郷心に裏づけられた「ウチナーンチュ」の当然のものといえるでしょう。

「辺野古新基地建設反対」の先にあるもの

 沖縄保守政治家として、そして愛郷者としての翁長知事の辺野古新基地建設反対の取り組みは、けして沖縄のことのみを考えたものではありません。

 翁長知事の主張は、辺野古新基地建設をめぐる日米間の意思決定や日本政府の対応、さらに日米安保体制という大問題を指摘する高度に政治的なものであり、地方政治を切り捨て、負担を押しつけ、沖縄差別や沖縄戦などの歴史への反省を欠く「本土」の強権的政治・強圧的態度に警鐘を鳴らすもの、つまり「東京」あるいは「日本全体」に向けられたものといえます。

 さらに翁長知事は、現在の国際情勢の変化とこれからの国際社会における沖縄の役割を踏まえつつ辺野古新基地建設反対を論じますが、そこには琉球・沖縄の歴史への洞察も存在しています。

 今年6月23日の沖縄戦全戦没者追悼式で、翁長知事はこう述べています。

民意を顧みず工事が進められている辺野古新基地建設については、沖縄の基地負担軽減に逆行しているばかりではなく、アジアの緊張緩和の流れにも逆行しているといわざるを得ず、全く容認できるものではありません。「辺野古に新基地を造らせない」という私の決意は県民とともにあり、これからも微塵も揺らぐことはありません。

かつて沖縄は「万国津梁」の精神の下、アジアの国々との交易や交流を通し、平和的共存共栄の時代を歩んできた歴史があります。[中略]そして、現在の沖縄は、アジアのダイナミズムを取り込むことによって、再び、アジアの国々を絆ぐことができる素地ができてきており、日本とアジアの架橋としての役割を担うことが期待されています。

 まさしく翁長知事の言葉は、沖縄の歴史に向き合いながら日本と世界の未来を見つめるものであり、沖縄の地に足をつけながらアジアに飛躍するものです。これこそ沖縄保守の言葉であるとともに、保守政治・保守思想のそもそもの本質に立ったものといえます。

高みで笑っているのは誰か

 一方で、「基地を巡ってウチナーンチュ同士がいがみ合うさまを見せつけられた」と翁長知事はよく語り、その後に「それを高みで笑っているのは誰か」と付け加えることを忘れなかったそうですが、基地撤去・基地負担軽減の県民の総意が分断され、沖縄県民の間にこれまでにない対立が呼び込まれていることも事実です。

優しい顔つきの翁長知事の遺影:RBC琉球放送ニュースより

 2015年8月10日から1ヶ月間、政府は辺野古新基地建設を中止し、沖縄県との協議を行いました。そこにおいて翁長知事は「沖縄には魂の飢餓感があり、心に空白ができている」と述べました。

 「魂の飢餓感」「心の空白」──明治新政府のいわゆる「琉球処分」以降、沖縄は新政府の強烈な統制を受け、「本土化」「本土並」を理想とすることを強要され続けましたが、その「本土」は沖縄を蔑み、差別し、裏切り、見捨て続けました。その構造は、日米安保条約という日本全体が享受する利益の裏に存在する基地負担の大部分を沖縄が背負う現在の基地問題にまで受け継がれており、さらにそこにおいて沖縄で発生する対立は「誰か」によって「高みで笑われている」のです。

 花瑛塾は翁長知事に代表される沖縄保守の精神や愛郷心を学び、「イデオロギーよりアイデンティティ」という翁長知事の言葉を理解し、ウチナーンチュ同士をいがみ合わせ、それを高みで笑う「本土」を一喝することにより、命がけで「本土」に抗った翁長知事の御霊をお慰めしたいと考えています。