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令和元年9月1日 関東大震災96年 東京都慰霊堂秋季大法要、朝鮮人犠牲者追悼集会

 大正12年(1923)9月1日に発生した関東大震災から96年を向けた今日、震災犠牲者のうち身元不明の遺骨を納め、犠牲者を御霊を弔う東京都慰霊堂(東京都墨田区「横網公園」内)で営まれた秋季大法要に参列し焼香するとともに、横網公園内に建つ「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」前で開催された朝鮮人犠牲者追悼集会に参加し、震災後の流言飛語や官憲の企図により虐殺された朝鮮半島出身者を弔いました。

秋季大法要が営まれる東京都慰霊堂

 関東大震災時、朝鮮半島出身者を虐殺した「自警団」とは、震災直後に突如として結成された組織ではありません。大正の米騒動以後、警察を補完するかたちで上からつくられ、そのメンバーは日清戦争で朝鮮を戦場とした元軍人による在郷軍人会が中心でした。彼らは朝鮮半島で壮絶な殺戮を経験しており、既に日本には虐殺の精神的素地、社会的素地があったといえます。

 また震災時の「自警団」の暴力は、軍による戒厳令の発令や「怪しい者は殺してもよい」という警察幹部の発言を背景とするものであり、警察官が「自警団」と一緒に朝鮮半島出身者を追いかけたり、軍が朝鮮半島出身者を「自警団」に引き渡し虐殺させるなど、「自警団」は官憲と一体となったものとして把握する必要があります。

 後に「自警団」による凶行は刑事事件として処罰されますが、ある種の「義挙」として捉えられていたのか、恩赦でかなり早期に釈放されるといったこともあったようです。

 なお現在では、関東大震災時の朝鮮半島出身者の虐殺を否定する議論もあるようですが、数々の証言、人々の日記、軍や官憲の記録、新聞報道、行政機関の資料などからも虐殺の事実を否定することはできません。さらに震災から約一ヶ月半後の報道統制が解禁された10月下旬の新聞には、既に「朝鮮人による暴動」といった情報が虚報であり、そうした流言蜚語により多数の朝鮮半島出身者が虐殺されたが、実際には日本人が略奪などの犯罪行為を行っていたと報じられています。

慰霊碑の前での金順子さんの追悼鎮魂の舞

 東京都知事はこれまで朝鮮人犠牲者追悼集会へ追悼文を寄せていましたが、小池百合子氏が東京都知事に就任以降、追悼集会への追悼文送付が取り止めとなりました。今年の追悼集会にも小池都知事の追悼文が寄せられることはありませんでした。

 小池都知事の追悼文送付の取り止めの背景には、震災時の虐殺事件を否定するライターによるデマ本と、これを根拠としたある都議の都議会質問があるといわれていますが、いずれにせよ最終的には小池都知事自身による歴史修正主義に基づくものといわざるをえません。「根拠不明であっても邪魔なものは抹殺する」という都知事の対応は、まさしく震災時の「自警団」と同様のものとして厳しく非難されるべきものです。