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令和元年9月3日 花瑛塾第19次沖縄派遣団(陸自石垣駐屯地問題)

 花瑛塾第19次沖縄派遣団は3日、石垣島の平得大俣地区において陸上自衛隊石垣駐屯地の建設工事の進捗状況を視察しました。

陸自石垣駐屯地建設現場にて

 陸上自衛隊石垣駐屯地の建設工事は今年3月から着工し、現在も進められています。石垣島への陸自配備について、住民投票を求める署名は石垣市約3万9000人のち約1万4000筆も集まりました。しかし市議会はこれをあっさりと否決するなど、陸自配備への意思決定に住民の関与や合意はありません。

 石垣市と防衛省が今年3月に駐屯地建設を強行した背景には、4月以降だと沖縄県の改正環境アセス条例の適用対象となるため、滑り込みで工事を着工したといわれています。地下水の汚染や天然記念物のカンムリワシなどの営巣への影響について心配の声もあがっていますが、防衛省はアセスの実施を否定しています。

 東西冷戦が終結し、自衛隊は根拠不明の「中国脅威論」を振りかざし、南西諸島配備を進めています。与那国、宮古島においても陸自駐屯地が開庁しましたが、それぞれトラブルや問題が絶えません。石垣島においても平時においてすら住民の声を押しつぶし、また美しい自然を破壊しながら配備を強行する自衛隊が、はたして有事に際して住民を守るのか疑問です。

 陸自石垣駐屯地が開庁すれば500人規模の警備部隊と地対艦・地対空ミサイルが配備されますが、年間130万人もの観光客が訪れる石垣島は、現在、それほどの部隊と兵器を配備しなければ対応できないほどの「脅威」にさらされているのでしょうか。誰一人そうは思っていないはずです。

陸自石垣駐屯地予定図:八重山毎日新聞より

 また実際に有事があったとしても、国民保護法に基づき自衛隊の主任務は戦闘にあり、住民保護は行政の役割となっています。平成24年、防衛省内で石垣島への敵の侵攻を想定しての防衛と奪還作戦についての検討がおこなわれましたが、そこに住民保護という想定内容はありませんでした。沖縄戦においても石垣島には独立混成第45旅団(八重山旅団)という大部隊が配備されましたが、八重山旅団は住民を米軍の手に渡すと軍事機密が漏洩するとして、マラリア有病地の白水などに強制疎開させ、多くの住民が亡くなりました。沖縄にはこうした記憶がまだまだ消えていません。

 神道言論人の葦津珍彦は自身が執筆した記事「国民は自衛隊に何を期待する─『一旦緩急アレバ義勇公に奉ズ』は生きている」、および「自衛隊に名誉を」において、急迫不正の侵害に対する自衛隊の必死の抵抗は、抑止力として機能することはもちろんだが、それ以上に、自衛隊の必死の抵抗は国家が国民を見殺しにしないことを示すものであり、国民の連帯や統合を確保し、保持するものとして自衛隊の存在意義、すなわち「建軍の本義」があるとします。

 そして皇軍は解体され、自衛隊は天皇統帥の軍ではなく、天皇との関わりは全く否定されましたが、自衛隊の「建軍の本義」が国民統合にあるのならば、日本国憲法における国民統合の象徴としての天皇と不思議な一体や統帥の出現を葦津は示唆しています。

工事現場にある赤土のろ過装置

 こうした自衛隊「建軍の本義」に立つとき、石垣島はじめ現在の自衛隊南西諸島配備によって発生している住民の対立と分断は放置していいものではありません。戦後、自衛隊は沖縄で救急患者の緊急搬送や不発弾処理で信頼を得てきました。それは沖縄に心から向き合い、慰霊の旅を続けられ、国民統合の象徴として努力されてきた上皇陛下のお姿とも重なるものです。しかし現在の自衛隊の南西諸島、そして沖縄への態度は、明らかにそれと脱線しているといわざるをえません。

 いまこそ自衛隊は南西諸島から「名誉ある撤退」をすることで人々の信頼を取り戻し、「建軍の本義」を全うするべきではないでしょうか。