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南スーダンPKO陸上自衛隊派遣部隊日報隠蔽問題について

 本日28日、南スーダンPKO陸上自衛隊派遣部隊日報隠蔽問題に関する特別防衛監察の結果が公表された。これに関連し稲田朋美・防衛大臣が辞職を発表するとともに、黒江哲郎・防衛事務次官や岡部俊哉・陸上幕僚長らが処分される。黒江事務次官と岡部陸幕長は辞意を示している。

 そもそもこの日報隠蔽問題は、昨年7月、日本がPKOに参加している南スーダン首都ジュバで大規模な戦闘の発生について、陸自派遣部隊が「戦闘が生起」などと日報に記していたが、同年9月にジャーナリストがその日報の開示請求をしたところ、防衛省は陸自内で既に日報の文書もデータも廃棄され存在しないとし12月に不開示の決定をした。しかし与党内部からも「そんなはずはない」という声が高まったこともあり、統合幕僚監部内に日報のデータが残っていたことが発覚し、本年2月に日報のデータが一部黒塗りで公開された。

 ところが3月に入り、既に1月中に廃棄したはずの日報のデータを陸自が保管していたことが発覚し、2月には陸自がデータを消去していたことが発覚した。こうした事態に至り、稲田防衛相は日報隠蔽問題に関する特別防衛監察を実施し、本日の監察結果の公表となるが、問題が複雑なのは、稲田防衛相は2月時点で陸自内でのデータ保管について報告を受け、データ保管の事実を非公表とする組織的隠蔽を了承したといわれている。

 本日の監察結果と稲田防衛相の会見では、陸自におけるデータ保管の事実を非公表とし、稲田防衛相が組織的隠蔽を了承したことについては、曖昧なままとしている。組織的隠蔽への稲田防衛相の了承・関与は不明であるが、問題の根本はそこにはない。

 そもそも日本のPKOへの参加については、自衛隊の海外派遣や武力行使の問題から、「PKO受け入れ国の同意」「停戦合意」など5つの原則を充たしている必要がある。2011年より始まった南スーダンPKOは、当初、こうした参加原則が維持されていたが、2013年より内戦状態に至り、政府軍が国連施設・職員を襲撃し、殺害・略奪を行い始める。昨年7月の首都ジュバでの戦闘も、政府軍が国連職員の宿泊施設を襲撃するものであった。つまり、少なくとも昨年7月時点で「PKO受け入れ国の同意」「停戦合意」は破綻していたのである。

 しかし安倍政権は南スーダンPKOへの自衛隊部隊派遣を続け、さらに昨年11月には2015年の安保法(戦争法)における改正PKO協力法で認められた「駆けつけ警護」の任務付与と任務遂行型の武器使用を認めるに至る。こうした安倍政権の南スーダンPKOの継続と安保法に基づく任務強化の実施のために、「戦闘」の文言が明記されている日報が隠蔽され続けたのではないかとの疑いを覚える。

 事実、2月に公開された日報は、肝心な部分が黒塗りのままである。例えば首都ジュバでの戦闘の詳細、戦闘に関する自衛隊の弾薬使用量、さらには戦闘後に急増した隊員の負傷状況などが黒塗りとされ、ジュバでの戦闘の状況とこれに対する自衛隊の対応は一切不明である。自衛隊が南スーダンで戦闘に巻き込まれ、武力を行使し、さらには戦傷者が出たということであれば、南スーダンPKO自衛隊派遣部隊の任務強化はおろか、部隊派遣すら困難となり、撤収せざるをえない。こうした事態をおそれて安倍政権は日報を隠蔽し、黒塗り公開としたのではないだろうか。疑念は高まるばかりである。

 防衛省そして自衛隊を統制しきれなかった稲田防衛相の辞任は当然のことであり、任命権者である安倍晋三・総理大臣の任命責任は免れないが、問題はそればかりではなく、なぜ日報を隠蔽したのかという点にある。南スーダンPKO自衛隊派遣の継続は正当であったのか。日報の内容や南スーダンの状況を稲田防衛相そして安倍首相は把握していのか。自衛隊は海外で武力行使をしたのか。隊員は戦傷を負ったのか。安倍政権は、これらについて明らかにする責任がある。首都ジュバでの「戦闘」の状況、さらには自衛隊の海外での武力行使の実態、PKO参加原則の破綻を知りつつ、南スーダンPKOへの部隊派遣を継続し、さらに「駆けつけ警護」任務付与を実施したのであれば、これは大問題である。

(画像は、防衛省で辞意を表明する稲田防衛相 時事ドットコムニュース 2017.7.28 12:49より)