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平成29年9月8日 花瑛塾第10次沖縄派遣団

花瑛塾第10次沖縄派遣団は8日、沖縄県各地を訪れ、様々な取り組みを行いました。

午前中、読谷補助飛行場跡(読谷村)とハンビー飛行場跡(北谷町)を訪れ、返還後の基地跡の現状を確認しました。

読谷補助飛行場は旧日本軍により沖縄戦に向けて建設された「北飛行場」を接収した米軍が拡張した飛行場ですが、SACO合意により返還が決まり、2006年に全面返還されました。読谷補助飛行場ではパラシュート訓練によるトレーラーの落下事故やジェット機の墜落事故など、生命に関わる重大事故が多発し、地域の大きな負担となっていました。

現在は読谷村役場や健康増進センターなど公共施設が建設され、農協の関連施設が建設されるなど、少しずつ跡地利用が進んでいます。

ハンビー飛行場は81年にメイモスカラー射撃場とともに返還され、現在は両者ともハンビータウンやアメリカンレッジなど大型商業施設が立ち並び賑わっています。

基地跡地の確認後、沖縄市戦後文化資料展示室「ヒストリート」(沖縄市)や1970年にコザ暴動が発生した胡屋十字路(同)を見学し、コザの歴史やコザ暴動、あるいは1945年9月7日に沖縄で行われた沖縄戦の降伏調印式について学びました。

嘉手納飛行場が位置する沖縄市(コザ)では、米兵のもたらすアメリカンカルチャーによって独特の情緒ある歓楽街が形成され発展しましたが、同時に米兵による事件事故により住民は苦しんでいました。そうした怒りが爆発したのがコザ暴動であり、沖縄を考える上で知るべき出来事です。また1945年9月7日、現在の嘉手納飛行場に位置する越来村森根(現、沖縄市)にて沖縄戦の降伏調印式が行われました。

午後は、昨年、米軍属に殺害されたうるま市の女性を追悼するため、女性の遺体が遺棄された現場にて心からの慰霊のまことを捧げました。この場所はいまでも多くの人が訪れ手を合わせたり献花をするなどしており、この日も一般の方が慰霊に訪れていました。

その後、国立劇場おきなわ(浦添市)にて「平成29年度沖縄県伝統芸能公演 かりゆし芸能公演」(琉球舞踊 玉城流翔節会)を鑑賞し、「長者の大主」や組踊「花売の縁」より猿引の場など、琉球舞踊を中心とした琉球・沖縄の芸能を楽しみました。