平成29年9月13日 花瑛塾第10次沖縄派遣団

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花瑛塾第10次沖縄派遣団は13日午前、昨日12日に何者かによって荒らされた沖縄戦の強制集団死の場「チビチリガマ」(読谷村)を訪れ、慰霊のまことを捧げました。

沖縄各地のガマは沖縄戦で住民の避難壕や日本軍の軍事拠点となりましたが、チビチリガマでは避難していた140人の住民が米兵による殺害や暴行を恐れ、83人もの住民が互いに殺し合う強制集団死(いわゆる「集団自決)に追い込まれました。こうしたことは「読谷村史」などに克明に記されています。

チビチリガマでは80年代にもガマの入り口にある「世代を結ぶ平和の像」(制作:金城実)が破壊される事件も起きています。

その後、佐喜真美術館(宜野湾市)を訪れ、常設展示「沖縄戦の図」や「読谷村三部作」(作:丸木位里・丸木俊)を鑑賞しました。

丸木位里・丸木俊は「原爆の図」の制作後、沖縄戦体験者の証言に基づきつつ、「沖縄戦の図」やチビチリガマの悲劇などを描いた「チビチリガマ」「シムクガマ」「残波大獅子」といった「読谷村三部作」を制作しました。

また同美術館では特別展として「國吉和夫<私の>人(ひと)展」が開催されており、沖縄の人々を力強く撮影した作品を鑑賞しました。

13日午後、平敷兼七ギャラリー(浦添市)にて写真家・平敷兼七氏と中川大祐氏による真栄原社交街を題材とした作品を鑑賞しました。

真栄原社交街は宜野湾市にある歓楽街で、米兵相手の飲食店や性産業で大きな賑わいを誇りました。こうした社交街は経済的な面で基地と共存関係にあり、基地反対運動が高まると米軍は「オフリミッツ」と呼ばれる外出禁止・出入禁止措置を取り、社交街を経済的に苦しめ、沖縄の人々や基地反対運動への報復・分断をはかったといわれています。

その後、不屈館(那覇市)にて沖縄人民党代表にして那覇市長や衆議院議員を務めた瀬長亀次郎の遺品や関連資料を見学し、瀬長の生涯や戦後の沖縄返還や基地を巡る沖日米関係を学びました。

基地問題や沖縄返還交渉における沖日米関係の主要なプレーヤーはアメリカですが、沖縄の基地反対運動・返還要求の高まりがアメリカを動かしていくことなり、瀬長と沖縄の人々の戦いに胸をうたれました。