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映画『悲情城市』 二・二八事件と現代台湾

 先月28日で二・二八事件から71年を迎えた。一昨年、花瑛塾は二・二八事件を記念する台北市内の「二二八紀念館」を訪れ、事件について学習を深めるとともに、犠牲者を追悼した。

 二・二八事件を扱った映画に『悲情城市』(監督:侯孝賢〈ホウ・シャオシェン〉、1989年)がある。本作は、ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞受賞作であるが、日本による台湾統治終了後、国民党施政が開始されるが、国民党施政の腐敗とそれによる人々の混乱そして大規模反国民党運動となった二・二八事件を背景にしながら、ある台湾人一家の悲劇を描き出す内容となっている。

 以下、本作のあらすじと時代背景、そして二・二八事件の概要を確認しつつ、台湾における対日感情の変容を念頭におきながら若干の所感と批評を述べたい。また他の台湾映画の紹介などもおこないたい。

 本作の主な登場人物は、以下の通り。

林阿禄(李天禄…リー・ティエンルー)―「小上海酒家」先代。地元の顔役のヤクザ。息子たちの行く末を危惧している。

林文雄(陳松勇…チェン・ソンユン)―林家長男。船問屋を営みながら家業を継ぐ。ヤクザとしての生き方も父から引き継ぐが、上海ヤクザと揉める。

林文森(出演なし)―林家次男。日本軍々医としてルソン島に送られ、終戦後も生死不明。

林文良(高捷…ジャック・カオ)―林家三男。戦時中は上海で日本軍通訳を務め、終戦後、精神錯乱状態で帰国。精神状態回復後、上海ヤクザに協力するも、売国奴として密告され、拷問を受けて廃人となる。

林文清(梁朝偉…トニー・レオン)―林家四男。幼少時、聴力を失い、成人後は写真館を営む。下宿人の呉寛栄ら青年知識人たちと新台湾の将来を語り合う。

呉寛美(辛樹芬…シン・シューフン)―呉寛栄の妹。金爪石の高山病院の看護婦。林文清と恋仲になる。

 1945年8月15日、文雄の妾アイユンは臨月を迎えていた。産婆がアイユンの出産に立ち会い、文雄はそのそばでひたすら神仏に祈りを捧げる。無事に子どもは取り上げられ、文雄は室内の照明をつける。背景音として昭和天皇による玉音放送が流れる。そう、この日、戦争が終わったのである。

 戦争により休業していたが終戦により新装開店したのであろうか、「小上海酒家」では、祝宴が催され、それとともに林家は商売繁盛の祈りを捧げ、みなで記念写真を撮影する。そのような折、寛美は看護婦として金爪石の高山病院に赴く。寛栄のかわりに随行する文清。2人は写真を見合いながら、徐々に惹かれあう。林家の幸せがそこにあった。ちなみに、映画では、寛美の日記が随時読み上げられ、映画の筋立てを際立たせている。

 文清の写真館は寛美の兄・寛栄が下宿をしていた。寛栄は教師として働く青年知識人である。あるとき、寛栄が他の青年知識人を引き連れ、文清の写真館を訪れる。台湾の将来を語る文清や寛栄など青年知識人たち。そこでは大陸の混乱や新たに台湾を領有した国民党・陳儀の施政に対する批判などが提起された。そして寛栄が密かに心を通わせていた学校の校長の娘で日本人の静子は、国民党の命令により日本帰国を余儀なくされていた。

 金爪石の高山病院では、看護婦たちが中国語の勉強を始めている。新たな時代の到来のなかで、文良が帰ってくる。しかし彼は精神錯乱状態に陥っており、病院内で暴れ、文雄がそれを必死で制止する。

 先ほどの青年知識人たちは、酒を飲みながら再び台湾の未来を語る。そこではさらに踏み込んだ痛烈な陳儀批判がなされる。

 青年知識人たち、寛栄と静子、文良。台湾人たちの間に、少しずつギクシャクしたものが芽生え、どことなく冷たい風が吹き始めていた。

 精神を取り戻した文良に、新興の上海ヤクザが近づく。上海ヤクザは、黄金酒家で文良と会食しつつ、文雄が取りしきる交易船を使い、統制下であった米や砂糖の密輸をしないかと持ちかける。文良は「兄に相談しないと」と断るが、場の空気に押される。その場には文雄の舎弟である阿嘉も同席していた。

 その阿嘉に、黄金酒家の店主・赤猿が日本紙幣の不正な両替を持ちかける。しかしその夜、赤猿は情婦の目の前で何者かによって拉致され、翌朝、遺体で見つかる。

 文雄のもとに、文良と阿嘉が上海ヤクザと密輸をおこなっているとの密告が入り、文雄は船の積み込み場へ急行する。密輸品を押さえた文雄は、現場にいた阿嘉をなじり、文良の関与を問いただした。

 文良は上海ヤクザと博打に興じていた。そこに密輸が発覚したとの情報が入る。文良は文雄と話をするため博打場を出ようとするが、先ほどの赤猿の情婦を見つけ、赤猿拉致に関与していないかと詰め寄る。しかしキムという朝鮮人が情婦を「俺の女だ」といって間に入る。

 実はキムは上海ヤクザに属するチンピラであり、情婦は赤猿の日本紙幣の不正両替の話をキムに密告し、キムそして上海ヤクザともども赤猿殺害を実行したのであった。

 そして文良とキムは刃物を持っての喧嘩となり、文良の不始末を引き受ける文雄たち地元グループと上海ヤクザとの抗争が始まる。文雄は案じて地元の長老に調停に入ってもらい、何とか和解が成立するが、上海グループが国民党に文良が密輸に関与していると密告し、文良は逮捕される。

 文雄は上海グループに頭を下げ文良の解放を懇願する。そして文良は釈放されるが、取調べにおいて拷問にあったため、廃人となっていた。

 新しい正月の朝、眠りから覚めた文雄は、食事の準備をする妾に、独り言のように話しかける。

「最近よく夢を見る。子どもの頃の出来事の夢だ。昔、親父は大事な金を母親から預かり、それを渡しにいくことになったが、博打好きの親父を心配した母親は、俺を親父に随行させた。そしたら親父は俺を電柱に縛りつけ、大事な金で博打へいってしまった。近所の人が見つけて縄をほどいてくれたが、危うく死にかけた。それからというもの、俺は絶対に親父と2人きりで出かけなくなった」

 唐突な独白。新しく迎えた正月だが、文雄は希望に満ちて将来を語るのではなく、いささか諦念を込めて、しかしどことなく懐かしそうに、過去を語る。そして台北において「二・二八事件」が勃発したとのニュースを告げるラジオが放送される。各地で台湾人が蜂起し、国民党や大陸から渡ってきた中国人を襲撃し始めたという。台湾において芽生えたギクシャクや冷たい風は、いまや現実のものとなり、台湾人から希望や将来というものを奪い始めたのである。

 二・二八事件を期して台北に赴いた寛栄は、手傷を負って帰ってくる。そして山に篭もり、同志たちと共同体を築き、ゲリラを開始する。そして文清も寛栄たちと行動をともにしたとのことで、逮捕される。

 勾留された文清は、同室の者が次々と処刑されるなかで、嫌疑不十分として釈放される。そして同室の縁者を探し、遺品などを届ける旅に出る。あるとき、寛栄を探し出した文清は、ともにゲリラとなることを願うが、寛栄に断られ、家に戻ることになる。

 しかし家に安らぎはなかった。トラブルに継ぐトラブルで、文雄は苛立っており、小上海酒家も休業状態、文雄は博打に興じ束の間の安息をえていた。そして博打場で阿嘉と上海ヤクザが再び揉め、文雄は阿嘉を守るも殺されてしまった。そして文雄の葬式。雨の中、僧侶の読経に耳を傾ける参列者たち。そこには林家そして地元の人々の無念の顔が刻まれている。

 文清と寛美は結婚をした。ささやかな結婚式。男児の誕生。林家に笑顔が戻りつつあったが、寛栄は捕縛され、そこから寛栄との間柄が疑われた文清も逮捕されてしまった。

 ラストシーン。老境の阿禄そして廃人となった文良さらに阿嘉と林家の女性たちが、言葉もなく食事をする。ズームバックをし、パンニングをせず固定したカメラワークに映る林家の人々に、悲しみと諦めを感じないものはいないだろう。

 本作の時代背景として、日本による台湾統治終了から国民党施政開始そして二・二八事件の発生があることは先述の通りである。そこで、日本による台湾統治の開始から二・二八事件の発生までの経緯を確認したい。

 1871年、台湾南部に漂着した宮古島の島民が台湾牡丹社の原住民に殺害され、日本側は台湾に出兵する。これにより琉球の帰属を清朝に認めさせるとともに、賠償金をえた。

 そして1895年4月、日清講和条約(下関条約)が締結され、台湾が日本に割譲された。翌5月、日本軍が上陸開始、11月には全島平定が大本営に報告された。

 日本の台湾占領にあたり、各種の抵抗運動が頻発している。旧清朝系の唐景菘や劉永福らは、「台湾民主国」を建国し、フランスの支援のもと日本側に対抗した。また一般民衆や原住民も立ち上がり、ゲリラ戦を展開している。

 このゲリラは、日本の台湾占領が完了し統治が開始されてからも、数次に渡って発生している。1913年の羅福星事件や1915年のタパニー事件など死者数百名を出すゲリラ事件もあるが、ゲリラの規模や死傷者数などから特筆すべき事件としては、1930年、霧社の原住民による日本人襲撃と日本側の苛烈な掃討戦が展開された霧社事件が挙げられる。

 日本の台湾統治において主眼となったのはゲリラ対策であった。台湾総督をつとめた後藤新平は、警察力の整備と相互監視を強化し、じつに後藤の総督就任から五年間で3万人以上の台湾人がゲリラとして処刑されている。また台湾人の文系高等教育修得機会を「独立心を抱くおそれがある」として禁ずるなど、過酷なものであった。

 霧社事件の背景にも、日本側による原住民への画一的統治の押し付けや強制労働への不満があったとともに、整備された警察が行政の一部をなすなかで、警察による固有文化の無視や原住民女性を辱めるといった出来事が存在したといわれている。

 また日本の台湾統治時代においては、ゲリラだけでなく、合法的な独立運動も展開されている。日本における大正デモクラシーや中国の辛亥革命そしてロシア革命などから影響を受けた台湾知識人たちは、1918年から20年にかけて「啓発会」や「新民会」などを結成し、台湾総督の独自支配を認める「六三法」撤廃運動などを展開するとともに、21年には「台湾議会期成同盟会」を結成して台湾議会の設立を求めるなどした。

 確かに日本統治において、台湾におけるインフラが整備されたことは事実である。また公衆衛生や教育も進展した。けれども先述のゲリラや独立運動が存在したことも事実であり、賃金や雇用の面などでも厳然として日本人と台湾人との差別は存在したのである。

 1945年9月、大東亜戦争の終戦により国民党は台湾を「台湾省」と宣言する。10月、台湾を接収するべく国民党軍が上陸、国民党幹部・陳儀が台湾省行政長官・台湾警備総司令官として台湾統治の全権を握る。台湾人は台湾の国民党領有を「祖国復帰」と喜んだ。

 しかし国民党施政は腐敗と汚職にまみれていた。陳儀は日本の台湾総督並みの権限を持ち、国民党最優先の政治をおこなう。そして旧来の台湾人は徹底的に搾取と差別にあった。これにより台湾経済は大混乱に陥り、街には失業者が溢れた。自然、治安や社会機能は急速に悪化し、日本統治時代にはすでに撲滅されたはずのコレラが流行するまでに至る。

 台湾人はこの状況を「犬去りて豚来たる」と表現する。「日本人はうるさいものの番犬として役に立ったが、代わりにきた中国人は食って寝るだけの豚に過ぎない」という意味である。

 ついに国民党への不満は爆発し、腐敗官吏の処罰などを求めた二・二八事件が勃発する。

 二・二八事件の背景には、国民党によるタバコの専売制の問題が存在する。1,947年2月27日、台湾人寡婦がタバコの密売をおこなっていたところ、国民党の取締官がこれを押収するとともに所持金まで取り上げ、さらには銃で頭部を殴打した。そもそもこの寡婦は国民党施政の腐敗のため夫を亡くし、仕方なくタバコの密売を生業としていた。タバコは国民党による専売制であり、それはつまり闇にタバコを流していたのも国民党なのである。国民党が専売にするタバコを、国民党が闇に流し、そのタバコを手に入れて密売していたところ、国民党の取締官が寡婦のタバコや所持金を取り上げ殴打したのである。ここに国民党施政の腐敗がよく見てとれるだろう。

 群衆がこれに怒り取締官を糾問すると、取締官は発砲し群集の一人が死亡した。これにより群衆は警察と憲兵隊を包囲し、翌28日には長官公署前に集結、政治改革を要求するものの、国民党は機関銃を掃射して対応するとともに、戒厳令を発令する。市民は台湾放送局を占拠し、事態を台湾全土に知らせ、決起を呼びかけた。

 国民党は一旦要求を受け入れるが、3月8日には大陸から国民党軍の増援部隊が上陸、以後、2週間に渡り台湾全土で国民党軍による台湾人への無差別殺戮が繰り広げられた。

 日本統治時代の反日ゲリラの展開や熾烈な弾圧そして終戦による国民党の台湾領有を台湾人は「祖国復帰」と歓迎していた事実を見ても、日本統治下の台湾における対日感情はけして好意的なものとはいえない。

 しかし国民党施政の腐敗や二・二八事件の結果、台湾人には国民党への恐怖が植え付けられるとともに、政治的無関心が広まる。そして国民党による台湾人への差別が確立し、台湾人の反国民党感情が高まるとともに、厳しいながらも法治主義が確立し安定していた日本統治下を懐かしむ親日感情が醸成されるなど、対日感情は変容していった。

 日本統治により結果的に近代化が促進された部分があることは先述の通りである。またダム建設をおこなった八田與一や人格者の日本人教師など個々の存在により親日感情が生まれた部分ももちろんあるだろうが、台湾における対日感情の変容は、国民党に比べれば日本時代がまだよかったという複雑で屈折したものであるのだ。

 「複雑」「屈折」―本作の数々の場面に「複雑」「屈折」を見出せるが、それはまた、台湾現代史にもいえることである。

 本作の冒頭、生まれくる命は、庶子であった。悲しくもその命は、「正統」なものではなかったのだ。庶子は「光明」と名づけられ、文雄はじめ林家の者はみな庶子の誕生を喜ぶが、林家のその後に「光明」はありえなかった。

 ここに国民党による台湾領有が重なり合っていることはいうまでもないだろう。「祖国復帰」と国民党による台湾領有を喜び、人々は「光復」を祝うが、台湾に光は戻らなかったことは、先述の通りである。

 あるいは文雄の夢の独白。「親父に電柱に縛り付けられた」という文雄の子どもの頃の出来事を、ここのところよく夢で見るという独白には、日本統治への思いの「複雑」「屈折」を見てとることができるだろう。

 文雄、文森、文良、文清の生涯もまた、台湾現代史そのものである。上海ヤクザとのトラブルで命を落す文雄には大陸系による台湾人差別、日本軍々医として戦地におもむき生死不明となっている文森には日本軍兵士として徴兵を受けた台湾人の歴史、上海ヤクザとの癒着を国民党に摘発される文良には二・二八事件におけるタバコの密売、そして文清の逮捕には台湾青年知識人の粛清、そのようなことが投影されているようにおもわれる。

 こうした林家と台湾現代史の「複雑」「屈折」の極北が、映画のラストシーン、林家の人々がただただ淡々と食事をする場面である。ここには悲しみに裏付けられた林家そして台湾人の政治的無関心や無気力が描かれている。そして気がふれた文良もともに食事をとっているところからは、林家の「複雑」「屈折」と台湾現代史が悲哀を内包しつつも日々を生きている台湾の「複雑」「屈折」を表象しているといえるだろう。

 日本統治時代の抵抗運動を描く台湾映画としては、魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督『セデック・バレ』(2011年)がある。この映画は先述の霧社事件とその背景を描いた作品である。全編二七六分の大長編であるが、金馬奨各賞受賞作であり、興行収入8.8億台湾ドルを記録した大作である。

 同じく魏徳聖の監督作品としては、『海角七号』も紹介しておきたい。

 『海角七号』は現代台湾の若者を描いたコメディータッチの作品であり、演技やストーリー展開などの面で粗も目立ち、良作とはいえないが、爆発的にヒットした。なぜこの映画が台湾で、特に若い人々に歓迎されたのか。それは、この映画が台湾における南北格差や民族問題などをディティールとしていたからである。台南出身の若者が台北で夢破れて故郷に戻るシーンからこの映画がはじまるが、こうした点に台湾における「複雑」「屈折」が読みとれるだろう。

 軽い雰囲気で台湾映画を楽しみたいなら、やはり魏徳聖監督『あの頃、君を追いかけた』などもいいだろう。若者向けのラブコメディーであり、ヒロインとして好演するミシェル・チェンの出世作である。

 『悲情城市』は台湾のキューフンという街を舞台としている。夜店が立ち並ぶキューフンの街並みは、日本人にとってどこか懐かしいものを感じる。そんなこともあって、いまでは台湾の観光名所の一つとなっているが、ここを訪れる日本人のどれだけが『悲情城市』を見たことがあるだろうか。キューフンを訪れる日本人のどれだけが、あるいは台湾を「親日」といってはばからない日本人のどれだけが、日本統治からはじまる台湾の「複雑」「屈折」や台湾の対日感情の「複雑」「屈折」におもいをめぐらせているだろうか。

 すこしでも台湾に興味があれば、本作を見ていただきたいとおもう。