未分類

2018年沖縄県知事選挙を間近に控えてー「沖縄の民意」とはなにかー

 本年11月に予定されていた沖縄県知事選挙は、翁長雄志前知事の急逝により前倒しとなり、今月9月13日告示、30日投開票と間近に迫っている。選挙戦は、前宜野湾市長・佐喜真淳氏と自由党衆議院議員・玉城デニー氏による事実上の一騎打ちが予想されている。

 翁長前知事の「弔い合戦」ともいわれ、翁長前知事の遺志を継承する玉城デニー氏有利の報道もあるが、けしてそのようなことはない。前回、自主投票を決めた公明党沖縄県本部は早々に佐喜真氏支持を打ち出している。同じく前回、下地幹郎氏を擁立した日本維新の会沖縄県総支部も佐喜真氏を推薦した。翁長前知事が当選した前回の県知事選とは情勢が大きく異なっている。これまでの傾向からいえば、玉城氏不利・佐喜真氏先行とも予想される。文字通り一票を争う大激戦、大接戦となることだろう。沖縄の人々には、熟慮に熟慮を重ねた投票を呼びかけたい。

 「避難所設置」という苦渋

 昨年12月、宜野湾市立普天間第二小学校の運動場へ米軍ヘリCH-53Eの窓枠が落下した。窓枠の重さは8キログラム。一つ間違えれば大惨事となっていた事故だった。これにより沖縄県は米軍機の飛行停止と全米軍機の緊急点検を求めたが、事故から数日後、米軍は飛行を再開させた。また米軍機の学校上空の飛行制限の声もあがったが、既に米軍機は学校上空を何度となく飛行している。

 こうした事態をうけて、沖縄防衛局は先月8月31日、運動場に2か所の屋根つきの避難所を設置した。普天間第二小学校では、事故以来、米軍機が近づくと監視員が「逃げて下さい」と呼びかけ、運動場で遊んでいる児童が校舎へ避難することを繰り返しているが、今後は新設された避難所にも避難できることになり、新たにもう2か所の避難所を設置するそうだ。

 避難所の設置そのものは同校PTAの要望に基づいたものであり、児童の身を守るための当然の措置である。しかし、避難所の設置が沖縄の人々の本来の願いでないことはいうまでもない。「避難所を設置しなければならないような、この危険な状況を改善して欲しい」というのが、沖縄の人々の心からの願いであるはずだ。

 避難所の設置そのものはよいこと。しかし、それによって心から喜んでいるわけではない。問題の根本的な解決のためには、基地の存否や飛行ルートの制限を論じなければならない。だからといって、そのような大きな議論をしていれば、目の前の危険から子どもや自分を守ることができない。

 この避難所設置の問題は、沖縄のこれまでを象徴している。例えば普天間飛行場返還・辺野古新基地建設についてもそうだ。危険な普天間飛行場は返還しなければならないが、それは普天間飛行場の「移設」であっていいのか、まして「移設」先が同じ沖縄の辺野古であっていいのか。あるいは北部訓練場内に新たなヘリパッドが建設されれば、同訓練場の過半が返還されるという。返還は喜ばしい。しかし、それでいいのか。

 沖縄は、いつもそのようなジレンマに置かれ、苦渋の決断を迫られてきた。

 ささやかで切実な願い

 「沖縄の道は、沖縄がひらく」─これは辺野古新基地の建設強行に抗議する人々が、工事車両が出入りする基地ゲート前で口ずさんでいる歌の一節。沖縄の道を沖縄がひらくことは、これまで相当な困難があった。沖縄の道は常に日米両政府によって決められ、沖縄の願いは顧みられず、ジレンマのなかで身を裂かれながら、苦渋の決断を迫られ、屈折を強要されてきたのが沖縄であった。

 この歌のタイトルは「今こそ立ち上がろう」という。しかし、スクラムを組んでこの歌を口ずさみながら、抗議の人々は座り込みをしている。沖縄が立ち上がる方法は、じっと座り込み、抗議の意志を示すこと。警官隊にもみくちゃにされながらも、ただひたすら黙って座り込むことが、沖縄が立ち上がる姿を世界に示す。ゲート前の抗議行動もまた沖縄の苦渋と屈折を象徴している。

 考えて欲しい。沖縄の願いは、とても受け入れられない途方もないようなものだろうか。「危険かつ街の発展の阻害要因の普天間飛行場を返還して欲しい」、「美しい辺野古の海を埋め立て、新たな米軍基地を建設するのはやめて欲しい」、「軍用機の飛行を中止し、安全確認をして欲しい」、「夜間や市街地、学校上空の飛行は制限して欲しい」といった沖縄の人々の願いは、法外なものでも何でもなく、ごく当たり前の要求であり、むしろささやかに過ぎるものだ。

 それは歴史的にも同様である。例えば50年代、沖縄では事実上の米軍基地の固定化となる軍用地料の一括払いなどを容認する「プライス勧告」が発せられ、全県的な抗議運動が沸き起こった。いわゆる「島ぐるみ闘争」である。しかし、そこでも沖縄の人々の要求は、基地の全面撤去といったものではなく、「軍用地料一括払い反対」、「土地の適正補償」、「損害の適正賠償」、「新規接収反対」の4点にしぼったものであった。島ぐるみ闘争のスローガンは「土地を守れ」。沖縄の人々は、何も難しいことを訴えているのではなかった。

 2014年の県知事選に立候補した翁長前知事の主張もそうであった。翁長前知事は選挙戦で「普天間飛行場の県外移設」、「辺野古新基地反対」を掲げたが、それはけして途方もない訴えではなかった。翁長前知事の前任者であった仲井真元沖縄県知事も、2期目の県知事選において「普天間飛行場の県外移設」を主張し勝利しているし、自民党沖縄県連も辺野古県外移設を訴えていた。いや、2009年に成立した民主党・鳩山由紀夫政権そのものが「最低でも県外」を掲げていたことを思い出して欲しい。

 それでも仲井真元知事は安倍政権下の2013年、基地建設のための辺野古沖埋め立てを承認した。また自民党沖縄県連も同じく普天間飛行場の辺野古移設を容認することとなり、民意とのねじれが生じた。そして翁長前知事は当選後、辺野古での基地建設を阻むため国との法廷闘争を含めあらゆる努力を行ったが、結果として残念ながら埋め立て工事を完全に阻むことはできなかった。

 疲れゆく沖縄

 以前、沖縄を訪れた際、食事をしていると隣席から「基地問題をあまり気にしていない」、「むしろ基地の存在をチャンスにして、ビジネスにつなげていこうと考えている」といった声が聞こえてきた。会話の内容からすると、その人は生粋のうちなんちゅう(沖縄の人)で、地元で事業を展開しかなり成功している青年実業家のようであった。

 こうした考えは沖縄でめずらしいものではない。

 沖縄戦より73年、基地負担軽減という沖縄の人々の願いも空しく、米軍基地は今日まで依然として存在し続けている。まして新しい基地の建設が強行されつつある。叶わない願いをいつまでも叫び続けて疲弊するのであったら、基地の存在を受け入れ、あるいは基地の是非をことさら問うことなく、いまある状況のなかで最大限の利を得ようと考えるのは当然の考えである。

 あるいは沖縄戦の悲劇や米軍による土地強奪の記憶が薄れるなかで、基地の存在そのものにそもそも疑問や違和感を持たない人々が登場してくるのも不思議ではない。そこに洪水のように「在日米軍の沖縄駐留による抑止力の維持」「基地経済がないと沖縄は成り立たない」などといったデマがふりそそぐことによって「沖縄に基地は必要なのだ」という印象が刷り込まれ、さらに「反対運動は外国勢力に支援されている」「特定の政治勢力によるもの」といったデマが新基地建設反対を訴える取り組みへの偏見を抱かせることにもなり、基地について考えを及ぼすことそのものを無意識に避けようとしてしまうこともあるだろう。

 本年2月の名護市長選挙では、これまで辺野古新基地建設に反対し、米軍再編交付金に頼らない市政に尽力してきた現職の稲嶺進氏が落選し、「海兵隊の撤退」を主張しながら海兵隊基地である辺野古新基地の是非を前面に出すことのなかった渡具知武豊現市長が当選した。

 稲嶺氏の落選の理由は自公の選挙協力や市政与党側の選挙態勢に不備など様々な原因があげられているが、その一つに「稲嶺市政は辺野古新基地問題ばかりやっている」という評価が生まれてしまったことも不利であったといわれている。稲嶺市政は辺野古新基地の問題ばかりやっているが、実際に新基地建設は止まらず、他の市の課題はなおざりとなり、市政の停滞と発展の低迷を招いた、と。

 止まらない基地建設と「東京」の政治が持ち込む金とデマが地域を分断させ、「基地のことはもうこれくらいにして欲しい」という人々の「疲れ」が生じ、基地以外の争点をことさら持ち上げれば、人々が自然とそこに関心を持つのはやむをえないともいえる。

 沖縄の民意と今次沖縄県知事選挙の争点

 仲井真元知事は普天間飛行場の返還計画の前倒しや振興予算の確保などを条件に、知事2期目末期で辺野古埋め立てを承認したが、あくまで仲井真氏は2期目の選挙で普天間飛行場の県外移設を求め当選したのである。大田県政時の県民投票、比嘉鉄也名護市長時の住民投票、翁長知事の誕生、衆議院選、参議院選などで沖縄の民意は示され続けてきた。

 仲井真元知事の前任である稲嶺恵一元知事は、普天間飛行場の県内移設を認めたが、そこではキャンプ・シュワブ沿岸部ではなく辺野古海上埋め立て案や15年使用期限、軍民共用案などを提案し、県内移設に諸条件を付していた。

 こうして考えると辺野古新基地容認・推進は、断じて沖縄の歴史的な民意ではないのだが、その民意が「東京」に受け止められ、政策に反映されることはかつてなかった。そしてまたあらたに沖縄県知事選挙が行われ、沖縄の民意が問われようとしている。沖縄は一体何度民意を示さなければならないのか。「東京」にとって都合のいい民意が示されるまで、延々とこのようなことを繰り返さなければならないのだろうか。

 間近に迫った沖縄県知事選挙の争点は、いわばここにある。これまで示され続けた沖縄の民意と、これから示される沖縄の民意は、何のために、どこに向かって示されるべきなのか、ということだ。

 そう、今次沖縄県知事選挙で選挙されるのは「東京」なのかもしれない。