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平成30年10月24日 花瑛塾第15次沖縄派遣団①(沖縄県議会傍聴など)

 花瑛塾第15次沖縄派遣団はこの日、沖縄県議会米軍基地関係特別委員会における辺野古県民投票条例や各種陳情などの審議を傍聴しました。

 先日の本会議でデニー知事を侮辱するような質問を繰り返した米軍基地関係特別委員会の委員でもある自民党県議らは、本日の委員会でも辺野古新基地に関する沖縄県の認識についての県職員の発言のあげ足とりに終始し、県民投票の必要性や今後の沖縄米軍基地のあり方を展望するような議論の深まりはありませんでした。保守政治家としての知的誠実さや品格、あるいは基地問題への議論の高まりや愛郷的な問題意識が欠如しているように感じました。

沖縄県議会

 自民党沖縄県連会長・國場幸之助衆院議院は、県知事選挙・豊見城市長選挙・那覇市長選挙と立て続けの敗北をうけて県連会長職を辞任しましたが、実際には既婚女性への卑猥な言動が週刊誌に取り上げられており、スキャンダル含みの辞任でした。

 國場議員は「沖縄四天王」の1人で國場組創業者・國場幸太郎氏を祖父とし、昭和45年(1970)に瀬長亀次郎氏らと共に戦後初の沖縄選出の国会議員となった國場幸昌氏を大叔父とする人物であり、5年前まで普天間飛行場県外移設を主張していた「沖縄保守」の政治家でもあります。結局、安倍・石破ラインの圧力に屈服し辺野古新基地建設容認派に転落しましたが、いまやその政治力や指導力が問われ、さらに人間性まで問題視されています。

 また那覇市長選挙で再選された城間幹子氏に挑んだ翁長政俊氏は、長く県議などを務め、自民党沖縄県連幹事長など沖縄自民党の要職を歴任した人物でもありました。翁長氏は選挙の敗北により政界引退を余儀なくされましたが、選挙の敗因は官邸が那覇市長選挙の敗北を見切り、選挙中にも関わらず辺野古埋立承認撤回への不服審査申し立てるなど、沖縄切り捨て・東京本位の振る舞いをしたからといわれています。沖縄保守政界の中枢人物であっても中央政界の「系列保守」である限りためらいもなく利用され、使い捨てにされるのです。

 こうした一連の出来事や今日の委員会質疑からいえることは、沖縄保守政界から「沖縄保守」の伝統や高潔な精神が消えようとしているということです。自民党沖縄県連はいわば「東京の自民党の沖縄支店」ではなく「沖縄の自民党の総本店」として、「系列保守」から脱却した本来の「沖縄保守」としての堂々の旗を掲げるべきではないでしょうか。

沖縄県議会米軍基地関係特別委員会

 その他、糸満・摩文仁の平和祈念資料館を見学するとともに、沖縄戦を戦った歩兵第22連隊壊滅の地に建つ「栄里の塔」や米軍沖縄攻略部隊司令官であり沖縄戦で戦死したバックナー中将を弔う「バクナー慰霊碑」をお参りしました。

 花瑛塾第15次沖縄派遣団は昨日23日に沖縄入りし、辺野古新基地建設が再開されようとしている状況下、しばらくのあいだ沖縄にて取り組みをする予定です。