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令和元年6月24日 花瑛塾第18次沖縄派遣団(海軍司令部壕、嘉数高地「青丘之塔」)

 花瑛塾第18次沖縄派遣団は24日、沖縄戦時、海軍部隊が配備されるとともに、小禄半島に上陸してきた米軍を迎え撃つための激戦地となった海軍司令部壕(豊見城市)を見学しました。

 海軍司令部壕は爆撃などにも耐えられる重厚な造りの地下壕ですが、ツルハシなどを用い全て人力で建設されたといいます。また沖縄戦の最末期には、多数の兵士が司令部壕に籠り、立錐の余地もなかったといいます。司令部壕では海軍部隊の司令官や幕僚たちが自決しています。

 また沖縄戦時、上陸し南下する米軍を迎え撃つための第一防衛線であり、米軍に「忌々しい丘」とまでいわれるほどの激戦地となった嘉数高地(宜野湾市)を見学し、当時のトーチカなどを見学しました。同高地は比謝川を挟み高台となっていますが、日本軍は反斜面陣地といわれる戦術で米軍を大いに苦しめたといわれていますが、一方で付近の住民などは戦闘に巻き込まれ被害にあいました。

 嘉数高地には沖縄戦で犠牲となった朝鮮半島出身者を慰霊する「青丘之塔」が建立されており、慰霊・追悼のためお参りしました。沖縄戦では日米の兵士や沖縄住民のみならず、朝鮮半島出身者や台湾出身者など、アジアの人々も戦争に巻き込まれ犠牲になっています。