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令和元年10月4日 花瑛塾第20次沖縄派遣団④(石垣島沖縄戦関連史跡)

 花瑛塾第20次沖縄派遣団は4日、沖縄戦時の石垣島の飛行場関連史跡を見学しました。

 沖縄戦時、石垣島には独立混成第45旅団はじめ陸軍部隊や特攻艇部隊など海軍部隊が駐屯し、米英軍による連日の空襲や強制的な住民の疎開による戦争マラリアなどの悲劇が発生しました。

 以下、見学した史跡をご紹介します。

海軍南飛行場跡と掩体壕

 海軍南飛行場は昭和19年に完成した飛行場です。現在の南ぬ島石垣空港(新石垣空港)が完成するまでは、石垣空港として使用されてきました。現在は県立八重山病院や消防本部が建ち、新石垣市役所の建設が予定されるなど、飛行場の面影はありませんが、周囲には掩体壕と呼ばれる軍用機を秘匿する格納庫が残っています。

海軍南飛行場跡付近の掩体壕
海軍北飛行場跡

 海軍北飛行場はヘーギナー(平喜名)飛行場とも呼ばれ、沖縄戦以前に建設された飛行場です。当初は不時着用の小規模な飛行場でしたが、沖縄戦を控え本格的な飛行場として整備・拡張されていきました。工事には朝鮮半島出身者や石垣住民が多数動員されたといわれています。飛行場跡は現在、国際農林水産業研究センターとなっています。

海軍北飛行場跡にたつ国際農林水産業研究センター
陸軍白保飛行場跡とみのかさ部隊兵舎跡

 陸軍白保飛行場は沖縄戦を控え、住民総動員の昼夜兼行の突貫作業で建設されました。米英軍の空襲が本格化し、同飛行場が爆撃されると、軍服も支給されず蓑と笠を身にまとった第506特設警備工兵隊(みのかさ部隊)が付近に秘密滑走路を建設しました。

 なお、このみのかさ部隊の隊長は高良鉄夫大尉で、現在の高良鉄美参院議員の父親にあたります。高良鉄夫氏は戦後、動物学者として大きな業績を残しましたが、特に西表島でイリオモテヤマネコにつながる幼獣の発見をしたことで有名です。

陸軍白保飛行場跡

 史跡見学後、石垣島の平得大俣地区で進む陸上自衛隊石垣駐屯地の建設工事現場を訪れました。

 石垣駐屯地完成後は、宮古駐屯地とともに米軍の軍事戦略を補完するミサイル部隊が配備される予定となっています。特に米国は最近、中距離核戦略廃棄条約を破棄し、沖縄に中距離弾道ミサイルを配備する計画が取りざたされています。アジアやロシアを攻撃する米国の弾道ミサイルを宮古・石垣の自衛隊のミサイルが防衛する態勢が完成しつつあり、万一の場合は沖縄が真っ先に戦場になる可能性があります。

 他にも石垣駐屯地建設は、環境問題や住民投票と民主的手続きの面からも大きな問題があり、あらためて再検討する必要があります。

陸自石垣駐屯地建設工事現場付近