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令和元年10月14日 「出陣学徒壮行の地」記念碑見学

 秩父宮ラグビー場敷地内に建つ「出陣学徒壮行の地」記念碑を訪れました。

「出陣学徒壮行の地」記念碑

 先の大戦において、兵役法では中学校以上の学校在籍者の徴兵延期を認めていましたが、戦争の激化により下級将校が不足していったため、政府は昭和18年(1943)10月に徴兵延期制を廃止し、この年の年末には文系大学の学生など徴兵検査をおこなった学生約10万人が入営しました。

 徴兵検査に先立つ同年10月21日、明治神宮外苑競技場で「出陣学徒壮行会」が挙行されました。また各大学では、例えば國學院大學が10月14日、法政大学では15日など、21日までにそれぞれ壮行会が開催されましたが、このため壮行会から50年の平成5年(1993)、壮行会が開催された明治神宮外苑競技場跡(旧国立競技場)にこの記念碑が建立されました。

 学徒出陣によって下級将校となった学徒兵出身者たちは、陸軍士官学校や海軍兵学校出身の正規将校たちには差別され、古参兵からは軽く扱われるなど、日本の軍隊の非合理性や理不尽さに悩まされたといわれています。陸海軍特攻隊として搭乗した将校のうち半数以上が学徒兵出身の将校であり、学徒兵出身の将校は、将校のなかでも「消耗品」として使い捨てにされたということができます。

記念碑の説明文

 また先の大戦はじめ総力戦体制下では、兵力不足を補うため、植民地であった朝鮮、台湾からも当初は志願兵として、後に徴兵として兵力が動員された他、女性も少数ながら通信隊に動員されるなどしました。しかし政府は植民地出身者や女性の動員に消極的であり、むしろ学徒兵や少年兵を積極的に動員しました。特に少年兵はいわゆる予科練などが有名ですが、その他にも少年戦車兵や通信兵、海軍特別年少兵などが誕生し、15歳前後の少年兵が多数戦死しました。

 当初、少年兵には特殊な専門教育を施し、下士官として育てることが目的であり、家庭の経済事情などで上級学校に進学できなかった向学心のある少年が多数志願しましたが、結局は即席の兵士として前線に送られ、実戦に投入されたといわれています。彼ら少年兵を送り出した親たちは「子どもを戦争に駆り出しているようでは、この先どうなるか」と不安や疑問を感じていたそうです。

 「出陣学徒壮行の地」記念碑は、東京オリンピックの工事のため現在の秩父宮ラグビー場の敷地内に移っており、来年の今頃、新国立競技場が完成しオリンピックが終わった頃には、出陣学徒壮行会が開催された新国立競技場内に移転されているかもしれません。

平成30年(2018)10月21日 「出陣学徒壮行の地」記念碑