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中国政府による香港への国家安全法制導入に抗議する─「港人治港」「一国二制度」の大原則を守れ─

※ 6月30日、中国の全人代常務委員会は「香港国家安全維持法」を可決した。今年5月末の全人代における香港への国家安全法制の導入方針を採択したことに基づく動きであるが、香港ではこれにより民主派団体の解散や、メンバーの脱退などが相次いでいる。

以下の声明は、5月末の全人代での香港への国家安全法制導入方針の採択についての花瑛塾の抗議声明であるが、現在の事態の本質はこの時と何もかわっていない。あらためてその際の声明を公開し、中国政府の暴挙に強く抗議する。

中国政府による国家安全法制の導入

 中国で開催されていた全国人民代表大会(全人代)は最終日の28日、香港での反中国的な動きを取り締まる国家安全法制を導入する方針を採択した。

28日閉幕した中国全人代

 香港では昨年、逃亡犯条例改正に対する反対運動(反送中運動)が爆発的な盛り上がりを見せたが、この問題はあくまでも香港政府が香港立法会で条例改正を目指したものである。しかし、このたびの国家安全法制の導入は、中国政府が香港の治安関係法令を直接制定し適用するものであり、香港の高度な自治を認める「一国二制度」を根底から覆すものだ。

 そもそも香港では、いわば香港の憲法である香港基本法のもと、中国の法令が適用されないが、香港基本法では外交や軍事、領事などに関しては例外的に中国の法律の適用を認めている。中国政府は、国家安全法制をそうした香港基本法における例外の一部として香港に適用するというのである。

 ここで香港に適用される国家安全法制の中身は、これから中国政府が具体的な法令として制定することになっているが、外国の政治団体が香港で活動することを禁じたり、中国政府はもちろん、香港政府への抗議そのものを規制する内容になっていくのではないかともいわれている。また中国の治安機関が香港で直接活動することも可能になるといわれ、制度上や手続き上だけでなく、香港の自治と民主主義を実態的にも中国政府が取り締まることが懸念されている。

「国家百年の計」─葦津珍彦が論じた香港返還

 戦後神社界を代表する言論人である葦津珍彦は昭和58年、「香港の将来─東洋解放のゴール サッチャー対鄧小平の見識」との記事を執筆している。そこで葦津は、当時の英国の首相サッチャーが鄧小平に香港返還を約したこと、そして鄧小平が香港返還後50年の現状維持(香港の高度な自治、一国二制度)を方針としたことについて高く評価している。

市民に襲いかかる香港警察

 サッチャーはこのころフォークランド紛争に勝利し、自信を深めていた。一方、鄧小平も非常に強硬な態度で英国に対し香港返還を求めていた。実際、鄧小平はやろうと思えば軍を派遣し、香港を実力で回収することなど容易であった。さらに香港を実力回収すれば、鄧小平は「解放の英雄」として歴史にその名を刻むことにもなっただろう。

 しかし鄧小平が香港を実力で回収すれば、英国も黙ってはいない。場合によっては英軍が軍事行動を展開することもありえるし、香港を破壊し、焦土にすることも考えられる。

 サッチャーと鄧小平。互いに国家を領導する宰相は、最終的にはそうした方途をとらず、サッチャーはフォークランド紛争で勝ち取った栄光を背景としつつ香港を平和的に返還することでむしろ国家の威厳を確保し、鄧小平は短兵急な実力回収を避け、名声を選ばず香港を平和的に手中にする利を得た。葦津は香港返還問題をめぐる両宰相の対応について、国家百年の計を見定めたステーツマンと最大の評価をしている。

鄧小平とサッチャー

 ひるがえって今日の中国政府、習近平指導部の香港政策はどうだろうか。まさにこのたびの国家安全法制の導入などは、香港の高度な自治を否定し、一国二制度を覆し、あたかも香港を実力で回収するかのごとき政策ではないか。

 習近平は香港を実力で回収し、葦津のいうように鄧小平が手にしなかった「解放の英雄」の名声を得るかもしれないが、世界は中国政府の対応を非難し、政治的にも経済的にもあらゆる面で香港そして中国との関わりを見直そうとするだろう。

 現在の中国政府の香港政策は、香港のためにもならず、中国のためにもならず、世界にとっても好ましいものではない。「国家百年の計」を見失った誤った政策だ。中国政府は香港の「港人治港」「一国二制度」の大原則を守るべきである。

日本政府は最大級の抗議を

 こうした香港の情勢について、日本政府は中国政府に対し、抗議らしい抗議をおこなっていない。安倍首相は新型コロナウイルス感染症の対策にあたっても、最後まで習近平来日にこだわり、それにより感染症対策を怠り、初動対応に失敗した。日中の友好そのものは大変結構であるが、安倍首相の日中外交も国家百年の計に基づくものでなく、自身の名声のために習近平との親密さをアピールするだけのものである。

 葦津は上述の香港返還に関する記事において、

 「国家百年の計」、次の世紀のための長期遠大の方針を立てること、それがただのその場限りの時務的なポリティシャアン的思考ではなくして、真のステーツマン的見識によって確立されて行かなくてはならない。

 国際ニュースを見ていると、中国や英国の交渉には、なお「国家百年の計」を見定めようとするステーツマン風の構想が見える。だが日本の政治や外交には、ポリティシャン的な進退のみが目について、遠謀深慮のステーツマンの英風が片影も見えない。

と当時の英国と香港の外交に比して日本政治・日本外交を批判している。この葦津の批判は、まさに現在の安倍首相の対中外交にも当てはまるのではないだろうか。

 真に中国を思い、友好を望むのであれば、その香港政策の誤りを正し、国家百年の見地から、香港市民の声と民主主義を侮ってはならないと忠告するべきである。日本政府は中国政府による香港への国家安全法制導入に最大級の抗議をし、また世界に向けてこの問題を訴えていかなければならない。

アジアの平和と友好の見地から

 日本は過去の戦争で香港を占領し、軍政を敷いた。英国支配からの解放といっても、日本もまた香港の自治を奪った歴史がある。香港をめぐる中国への抗議は、ただの反中国の政治闘争ではなく、過去の反省とアジアの平和と友好の見地に立った上のものでなければならない。それもまた国家百年の計である。

香港に入城する日本軍

 戦前の日本には、中国最初の政党「中国革命同盟会」の結成に関わり、孫文や宋教仁を支援するなど、中国革命に身を捧げた宮崎滔天など「大陸浪人(シナ浪人)」といわれる一群の人々がいた。大陸浪人の系譜は戦前の右翼の系譜とも重なり合うが、一方で大陸浪人のなかには国威伸張のため国家の手先として大陸を跳梁跋扈した人物もいる。

 滔天はそうした大陸浪人を「国家的浪人」とか「シナ占領主義者」と批判し、自身の立場を「一言にして吾徒の宗旨を告白すれば、人類同胞主義也。寓邦平和主義也」と述べている。

 その上で滔天は、当時の日本外交が列強に気がねをし革命派を援助しないのならば、「僭越ながら吾等のような連鎖も必要」と述べ、日中両国を結ぶのは民間の志士しかないとしている。花瑛塾も「僭越ながら」ではあるが、日本政府が何かに気がねをし誤った対応をとっているのならばそれを強く批判し、アジアの市民と「連鎖」して「萬邦平和」のために尽くしていきたい。

2019年(令和元)6月14日~17日 花瑛塾亜細亜倶楽部(香港「反送中」「林鄭下台」運動と日本の過去、そして沖縄)