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令和3年5月20日 森口豁写真展「米軍政下の沖縄 アメリカ世の記憶」(銀座わした一丁目劇場)

 銀座わした一丁目劇場(沖縄県物産公社「銀座わしたショップ」地下)で開催中のジャーナリスト森口豁(かつ)さんの写真展「米軍政下の沖縄 アメリカ世(ゆー)の記憶」を鑑賞しました。

写真展の様子(撮影可の場所で撮影しています)

 森口さんは東京出身のジャーナリストで、高校時代に沖縄の高校生と出会ったことをきっかけに沖縄に関心を持ち、大学中退後は沖縄に移住、沖縄の地元紙である琉球新報の記者や日本テレビ沖縄特派員などを務めました。その後はフリージャーナリストとして米軍統治下の沖縄の実態を伝えるとともに、沖縄「復帰」後も沖縄について発信し続けています。

 写真展では、森口さんが撮影した米軍統治下の沖縄、例えば瀬長亀次郎那覇市長が米軍の不当な圧力を背景とする市長不信任に対抗し行なわれた市議会選挙(「『カメさん』を支えた夏」 那覇市首里 1957年)、B52爆撃機の撤去闘争(「B52撤去闘争」 嘉手納町 1969年)、キャンプ・シュワブ建設に伴い地域住民が基地による特需を期待するも潤ったのはベトナム戦争の一時期だけだったという辺野古(「キャンプ・シュワブがやって来る!」 旧久志村 1957年)など米軍基地の問題を撮影した作品の他、「医介輔」といわれる旧日本軍の元衛生兵や医学校中退者など代用医師がいるだけで無医村であった伊平屋島に医師がやってきた日(「島に医者が来る日」 伊平屋島 1963年)など、沖縄の島しょ部の厳しい現実を撮影した作品などが展示されています。

わしたショップは沖縄のアンテナショップとなっている

 「『カメさん』を支えた夏」は、現在の沖縄の県知事選挙などにおける政権の介入とも重なりますし、「キャンプ・シュワブがやって来る!」 は、在沖米軍基地の問題を考える上で重要ないわゆる「基地経済」の問題を考える視点ともなるなど、森口さんが撮影した米軍統治下の沖縄は、約50年もの歳月を経て今なお考えるべき様々な問題を私たちに提起しています。

 それ以外にも基地のなかにある先祖の墓、廃村となる西表島の集落、村のはずれに隔離されたハンセン病患者、祭祀を行なう久高島の女性たちとその上を飛ぶ米軍機、ベビーブームの子どもたちなど、当時の沖縄の人々のありのままの姿と様々な矛盾や苦境、そしてそこに絡みつく米軍統治や過去の戦争の問題が生々しく写し出され、展示されています。

 来年には沖縄「復帰」から50年という節目を迎えますが、あらためて沖縄について考えるためにも、森口さんの写真展をぜひ鑑賞してほしいと思います。

 写真展は5月31日まで、日によっては会場に森口さんがいらっしゃることもあるそうです。