千葉県内には戦争遺跡や軍人の墓地、慰霊碑や記念碑などが多数ありますが、その中でも尖った屋根が特徴的な気球連隊第2格納庫跡(千葉市)、コンクリートのドームや橋梁などからなる鉄道連隊演習施設(同)、第一次世界大戦のドイツ兵捕虜や日露戦争のロシア兵捕虜を弔う軍人墓地(習志野市)を見学しました。
気球連隊は当初は弾着の確認や偵察の気球や飛行艇として開発が進められましたが、戦争末期には陸軍登戸研究所が開発した風船爆弾を九十九里浜から北アメリカに向けて放球し、実際に多数の風船爆弾を着弾させ被害を強いる秘密戦を行っています。
なお、気球連隊についての詳細は、以下の過去の記事をご参照下さい。
また鉄道連隊はシベリア出兵の頃から徐々に拡大していき、終戦時には20個連隊まで編制されたそうです。千葉県には鉄道連隊が複数設置され、演習線を敷設するなどしました。
鉄道連隊は日本の勢力範囲が拡大するなかで重視されていき、最終的には南満洲から中国大陸を通り、東南アジアを経てインドまで鉄道を敷き、軍需物資を輸送するというような途方もない計画もあったそうです。
軍人墓地については、もともとは日本人の兵士の墓地でしたが、習志野には捕虜収容所もあったためか、日露戦争におけるロシア兵捕虜や第一次世界大戦のドイツ兵捕虜の死者を弔う墓(慰霊碑)があります。ロシア兵捕虜の墓(慰霊碑)には「ソ連軍人戦没者」とありますが、これは建立当時は「ソ連」という意味であり、ロシア兵捕虜の死者を弔っているものです。