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令和元年8月6日~9日 広島・長崎原爆投下の日、ソ連対日参戦の日

 8月6日、広島への原爆投下の日のこの日、原爆投下の朝8時15分、心中にて原爆犠牲者を追悼するとともに、原爆同様、米軍の空襲で殺害された無辜の民の遺骨を慰霊する東京都慰霊堂を参拝し空襲犠牲者を弔い、これを通じて原爆犠牲者へ慰霊の念をささげました。

東京都慰霊堂

 原爆や空襲により多くの民間人や軍人軍属はもちろんのこと、様々な事情で日本にいたアジア出身の労働者や留学生、さらには米兵捕虜など外国人も含めた多くの人々が犠牲になるとともに、市街は灰燼に帰し、現在に至るまで多くの人が後遺症に悩まされています。

 それとともに忘れてはならないのは、原爆や空襲により多くの子どもたちが家族や親族を失い孤児となったことです。広島でも「原爆孤児」といわれる孤児が多く生まれ、例えば「戦災児育成所」といった施設に保護されるなどしました。東京でも占領軍の要請に基づき、警察の主導で「東水園」という施設が設置され、孤児が保護されるなどしました。施設での暮らしは過酷であったといわれています。また孤児たちは上野駅などで暮らすことを余儀なくされ、「駅の子」などと呼ばれ大人たちに蛇蝎のように嫌われたそうです。

【東京大空襲74年】戦災孤児収容施設「東水園」跡(旧品川第五台場)

 8月9日、ソ連対日参戦の日のこの日、ロシア大使館および総理大臣官邸や自民党本部、外務省周辺にて、ロシア・旧ソ連の国際法違反の対日参戦と領土の不法占拠を糾弾するとともに、「外交の安倍」と自称しながら何らの外交的成果をあげることができず、目先の利益に走って二島返還論に傾斜し、事実上北方領土を捨ててしまった安倍首相・河野外相による対ロ外交を徹底的に批判しました。

総理大臣官邸周辺での街宣

 また、そうした対ロ外交批判とともに、先住民族アイヌの人々や北方領土元島民の権利擁護や支援、水産資源の維持や環境保護などは北方地域に責任を有する国家である日ロ両国が協力して積極的にやっていく必要があることを訴えました。

 なお8月9日はソ連対日参戦の日であるとともに、長崎原爆投下の日でもあります。74年前のこの日、米国は長崎に原爆を投下し、約7万4千人の無辜の民を殺害しました。今年の長崎での平和祈念式典において、被爆者代表の山脇佳朗さんが安倍首相に核廃絶への取り組みを求めたように、戦争被爆国である日本は、それだからこそ「核なき日本」「核なき世界」を目指すべきです。

 しかし、日本政府はこれまで、米国の沖縄への核配備を黙認し続けました。長崎に原爆を投下したB-29ボックスカーは、沖縄の読谷飛行場に緊急着陸し給油をおこなったといわれています。ここに「沖縄と核」が初めて立ち現れるわけですが、以降沖縄にはオネストジョンやメースB、ナイキハーキュリーズといわれる核兵器が日本政府の黙認のもと配備され、沖縄は米国の核基地となっていきます。

 米国の核の戦争使用や現在に至るまでの大量保有は許されざるものですが、一方で日本政府の「核の容認」も許されません。日本政府は核廃絶に向けて世界各国に働きかける必要があります。