花瑛塾第9次沖縄派遣団 北部訓練場工事再開抗議

花瑛塾第9次沖縄派遣団は28日、沖縄県東村・国頭村にまたがる米海兵隊演習場・北部訓練場(キャンプ・ゴンザルベス)前にて、同訓練場におけるヘリパッドおよび進入路などの関連施設の工事再開へ抗議しました。

96年SACO合意では、北部訓練場へ新たに6か所のヘリパッドを建設することと引き換えに、敷地の過半が返還されることになりました。しかしこのヘリパッドがV-22オスプレイの離発着用のヘリパッドであることは長年に渡り沖縄県民に知らされず、日本政府の隠蔽体質が問題となりました。新たに建設されるヘリパッドも東村高江区を取り囲むように位置しており、地元住民を中心に反対運動が展開されています。

ヘリパッド建設とともに北部訓練場に隣接する宇嘉川河口および接続水域が新規に米軍に提供されることになり、北部訓練場はV-22オスプレイと強襲揚陸艦や脱出用舟艇を用いた陸海空一体の戦闘訓練を可能とする演習場へ変貌します。これは基地負担の軽減ではなく、基地機能の強化さらには基地負担の増加に他なりません。

また米軍準機関紙「星条旗」によると、18日には米海兵隊とフィリピン軍海兵隊がキャンプ・シュワブにて合同訓練を行いました。国内での米軍以外の他国軍の訓練は、嘉手納基地やホワイトビーチなど数か所に限って「国連軍」による使用が認められていますが、キャンプ・シュワブはそのような施設ではなく、キャンプ・シュワブにおける米海兵隊とフィリピン軍海兵隊の合同訓練は違法です。

2015年にもキャンプ・シュワブやキャンプ・ハンセンで英国軍海兵隊々員が米海兵隊の訓練に参加していたことが判明し問題視されましたが、これについて外務省は「問題ない」との見解を示しました。今回の米海兵隊とフィリピン軍海兵隊の合同訓練は、こうした英国軍海兵隊の訓練参加に引き続くものであり、今後の訓練参加国拡大も危惧されます。米軍の無法と、それを追認する日本政府に強く抗議しました。

 

南スーダンPKO陸上自衛隊派遣部隊日報隠蔽問題について

 本日28日、南スーダンPKO陸上自衛隊派遣部隊日報隠蔽問題に関する特別防衛監察の結果が公表された。これに関連し稲田朋美・防衛大臣が辞職を発表するとともに、黒江哲郎・防衛事務次官や岡部俊哉・陸上幕僚長らが処分される。黒江事務次官と岡部陸幕長は辞意を示している。

 そもそもこの日報隠蔽問題は、昨年7月、日本がPKOに参加している南スーダン首都ジュバで大規模な戦闘の発生について、陸自派遣部隊が「戦闘が生起」などと日報に記していたが、同年9月にジャーナリストがその日報の開示請求をしたところ、防衛省は陸自内で既に日報の文書もデータも廃棄され存在しないとし12月に不開示の決定をした。しかし与党内部からも「そんなはずはない」という声が高まったこともあり、統合幕僚監部内に日報のデータが残っていたことが発覚し、本年2月に日報のデータが一部黒塗りで公開された。

 ところが3月に入り、既に1月中に廃棄したはずの日報のデータを陸自が保管していたことが発覚し、2月には陸自がデータを消去していたことが発覚した。こうした事態に至り、稲田防衛相は日報隠蔽問題に関する特別防衛監察を実施し、本日の監察結果の公表となるが、問題が複雑なのは、稲田防衛相は2月時点で陸自内でのデータ保管について報告を受け、データ保管の事実を非公表とする組織的隠蔽を了承したといわれている。

 本日の監察結果と稲田防衛相の会見では、陸自におけるデータ保管の事実を非公表とし、稲田防衛相が組織的隠蔽を了承したことについては、曖昧なままとしている。組織的隠蔽への稲田防衛相の了承・関与は不明であるが、問題の根本はそこにはない。

 そもそも日本のPKOへの参加については、自衛隊の海外派遣や武力行使の問題から、「PKO受け入れ国の同意」「停戦合意」など5つの原則を充たしている必要がある。2011年より始まった南スーダンPKOは、当初、こうした参加原則が維持されていたが、2013年より内戦状態に至り、政府軍が国連施設・職員を襲撃し、殺害・略奪を行い始める。昨年7月の首都ジュバでの戦闘も、政府軍が国連職員の宿泊施設を襲撃するものであった。つまり、少なくとも昨年7月時点で「PKO受け入れ国の同意」「停戦合意」は破綻していたのである。

 しかし安倍政権は南スーダンPKOへの自衛隊部隊派遣を続け、さらに昨年11月には2015年の安保法(戦争法)における改正PKO協力法で認められた「駆けつけ警護」の任務付与と任務遂行型の武器使用を認めるに至る。こうした安倍政権の南スーダンPKOの継続と安保法に基づく任務強化の実施のために、「戦闘」の文言が明記されている日報が隠蔽され続けたのではないかとの疑いを覚える。

 事実、2月に公開された日報は、肝心な部分が黒塗りのままである。例えば首都ジュバでの戦闘の詳細、戦闘に関する自衛隊の弾薬使用量、さらには戦闘後に急増した隊員の負傷状況などが黒塗りとされ、ジュバでの戦闘の状況とこれに対する自衛隊の対応は一切不明である。自衛隊が南スーダンで戦闘に巻き込まれ、武力を行使し、さらには戦傷者が出たということであれば、南スーダンPKO自衛隊派遣部隊の任務強化はおろか、部隊派遣すら困難となり、撤収せざるをえない。こうした事態をおそれて安倍政権は日報を隠蔽し、黒塗り公開としたのではないだろうか。疑念は高まるばかりである。

 防衛省そして自衛隊を統制しきれなかった稲田防衛相の辞任は当然のことであり、任命権者である安倍晋三・総理大臣の任命責任は免れないが、問題はそればかりではなく、なぜ日報を隠蔽したのかという点にある。南スーダンPKO自衛隊派遣の継続は正当であったのか。日報の内容や南スーダンの状況を稲田防衛相そして安倍首相は把握していのか。自衛隊は海外で武力行使をしたのか。隊員は戦傷を負ったのか。安倍政権は、これらについて明らかにする責任がある。首都ジュバでの「戦闘」の状況、さらには自衛隊の海外での武力行使の実態、PKO参加原則の破綻を知りつつ、南スーダンPKOへの部隊派遣を継続し、さらに「駆けつけ警護」任務付与を実施したのであれば、これは大問題である。

(画像は、防衛省で辞意を表明する稲田防衛相 時事ドットコムニュース 2017.7.28 12:49より)

平成29年7月28日 三島由紀夫研究会7月公開講座

三島由紀夫研究会7月公開講座「浪漫派詩人伊東静雄」(講師:荒岩宏奨氏)を聴講しました。

伊東静雄は保田与重郎らを中心とする文芸雑誌「日本浪漫派」や「コギト」などで活躍した詩人です。詩集『わがひとに与ふる哀歌』『夏花』などが代表作とされています。萩原朔太郎に絶賛され詩壇に登場して以降、伊東は寡作ながら現代詩人・藤井貞和にも影響を与えるなど、いまにいたるまで大きく評価されています。

三島由紀夫は「日本浪漫派」には直接関わりませんでしたが、後継誌ともいえる「文芸文化」に「花ざかりの森」を投稿するなど、蓮田善明を介しつつも日本浪漫派そして伊東に大きな影響を受け、終生、伊東を評価し続けたといわれています

なお、伊東は「花ざかりの森」の推薦文を依頼されたものの、断ったというエピソードもあります。京都帝国大学を卒業後、大阪府立住吉中学校の国語教師として生涯を過ごした伊東にとって、三島の早熟さや文壇への意識の強さが性に合わなかったようです。

伊東の詩集「わがひとに与ふる哀歌」は、伊東の故郷喪失あるいは故郷忌避といった精神的境地を下地としながらも、強烈な故郷への思い入れが絡み合う内容となっています

公開講座に先立ち、東郷神社(東京都渋谷区)を参拝しました。

同社の御祭神は日露戦争の日本海海戦などで活躍した東郷平八郎元帥です。

三島『豊饒の海』第1巻「春の雪」の冒頭は、松枝清顕と本多繁邦が日露戦争の提灯行列を覚えているかどうかの会話から始まり、日露戦争の慰霊祭の写真に話題が移っていきますが、この写真の存在の“虚偽”“虚飾”を視点に、『豊饒の海』全体の伊東あるいは日本浪漫派的なアイロニーが読み解かれるなどしています。

沖縄県による辺野古新基地建設岩礁破砕差し止めを求める提訴について

 今月24日、翁長雄志・沖縄県知事は、沖縄県名護市辺野古崎にておこなわれている在沖米軍辺野古新基地建設護岸・埋め立て工事について、沖縄県の許可を得ないまま施工されている国の岩礁破砕は違法であり、岩礁破砕の差し止めを求めて那覇地裁に提訴したことを発表した。

 沖縄県漁業調整規則第39条によると、漁業権が設定されている漁場内の岩礁を破砕する場合、県知事の許可が必要とされている。本年2月、名護漁協が辺野古崎の漁業権を放棄したことことが判明したが、これにより政府は当該漁場の漁業権は「消滅」したとし、沖縄県知事の許可を得ず岩礁を破砕している。

 沖縄県は訴状において、漁協が漁業権を「放棄」したとしても漁業権の設定は県によるものであり、岩礁破砕において県知事の許可は必要であり、政府による無許可での岩礁破砕は違法であると主張している。同時に、判決までの間、岩礁破砕を中止させる仮処分も申し立てた。

 沖縄県と政府の訴訟は、2015年10月に翁長知事が仲井眞弘多・前沖縄県知事による辺野古崎での公有水面埋め立て承認を取り消したことに関し、15〜16年に代執行訴訟や違法確認訴訟などが戦われた。さらに沖縄県と政府の関係は、国土交通省にる沖縄県への是正指示や沖縄防衛局による申し立て、あるいは沖縄県による国地方係争処理委員会への審査の申立てなど先鋭的な対立となった。一時、代執行訴訟について沖縄県と政府の和解も成立したが、政府は和解条項を破って公有水面埋め立て承認取り消し違法確認訴訟を提起し、16年に最高裁で沖縄県の敗訴となる。

 今回の沖縄県による岩礁破砕差し止めを求める訴訟は、このような複雑な経緯があってのものである。和解破りの政府による公有水面埋め立て承認取り消し違法確認訴訟では、福岡高裁那覇支部判決、そして最高裁判決について、地方自治法の観点や在沖米軍の沖縄駐留についての観点などから厳しい批判もあった。司法による公正な審判と沖縄県の勝訴を祈る。

 同時に、過去の訴訟や政府とのやり取りにおいて、沖縄県は常に政府に誠実な協議を求めており、こうした求めを無視して司法闘争や新基地建設を強行し続けたのは政府であったということは、しっかりと確認したい。

 過去、在沖米軍基地をめぐる沖縄県と政府の訴訟としては、ポスト冷戦における日米安保再定義や「東アジア戦略報告(ナイ・リポート)」や沖縄米兵少女暴行事件という緊迫した情勢下で行われた、1995年の大田昌秀・元沖縄県知事による貸与拒否軍用地主への代理署名拒否に対する職務執行命令訴訟があげられる。代理署名拒否は駐留軍用地特別措置法制定以来初の事態であり、最高裁まで争われた。

 こうした沖縄県の情勢を受けて、1996年、普天間飛行場の辺野古「移設」などを柱とするSACO最終報告が公表されたが、SACO合意の内実は在沖米軍の基地機能強化、基地負担増加・固定化でしかなった。オスプレイ配備、老朽化した在沖米軍施設の更新、辺野古崎での海上滑走路計画など、SACO合意の内容は、すべて「基地負担軽減」のもと、いままさに沖縄で「基地機能強化」「基地負担増加・固定化」として実現されている。

 あれから20年以上の時が経ち、再び沖縄県と政府の法廷対決が始まる。一部ではまるで沖縄県が「わがまま」をいって訴訟沙汰になっているかのような言動が見られるが、そのように沖縄基地問題と沖縄県と政府の訴訟を嘲笑う者には、せめてこの20年の沖縄県と政府のやり取りの経緯、そしてその「重み」を知るべきではないだろうか。

(画像は、差し止め訴訟について記者会見する翁長知事 時事ドットコムニュース 2017.7.24-19:13より)

花瑛塾が「サンデー毎日」に取り上げられました

7月25日発売の「サンデー毎日」8月6日号にジャーナリスト安田浩一氏による「密着取材 本土右翼が沖縄で『反基地運動』に奮戦中!」が掲載されています。

私たち花瑛塾も安田氏より取材を受け、花瑛塾の基地問題に対する問題意識や沖縄での基地問題に関する運動なども取り上げられています。

週刊誌という媒体の性質上、あるいは取材・インタビューという形式上、花瑛塾の問題意識や主張、運動などのすべてを伝えきれたわけではありませんが、ご興味のある方はご購読下さい。

花瑛塾第9次沖縄派遣団 浦添城跡散策

浦添城跡(沖縄県浦添市)を訪れました。

浦添城は古琉球時代の舜天王・英祖王統の居城ともいわれており、英祖王と第二尚氏・尚寧王の陵墓「浦添ようどれ」があります。英祖王は舜天王統を引き継いだといわれ、その生誕にあっては日光感精型説話が語られるなど太陽信仰を象徴しています。

城郭は薩摩藩の琉球侵攻(いわゆる島津氏による「琉球入」)の際に焼き討ちされ、さらに沖縄戦では首里の司令部を防衛するための防衛線となり、映画「ハクソーリッジ」の舞台ともなっている日本軍第32軍第62師団・第24師団と米軍第10軍第96師団・第77師団を中心とする前田高地の激戦が繰り広げられました。こうした経緯もあり浦添城跡は荒廃しましたが、近年石垣などが整備されました。

映画の影響もありここのところ浦添城跡を訪問する方が多いといわれていますが、城跡や周辺には沖縄戦で住民が避難したガマや御嶽・拝所など古琉球・尚氏時代の史跡も多数あり、訪れた際にはそちらも見学して欲しいと思います。

平成29年7月14日 安倍政権糾弾街頭宣伝行動

花瑛塾行動隊は、首相官邸前・自民党本部前・防衛省前および都内一円にて在日米軍基地の撤去、日米地位協定の改正、辺野古など新基地建設・北部訓練場の基地機能強化の反対を訴えました。

特に日米地位協定は米兵による犯罪が発生するたびに問題視されていますが、現在に至るまで改正・見直しは一切なされていません。米国はNATO諸国など他国と地位協定を締結していますが、これと比較して日米地位協定は刑事裁判権をはじめとする不均衡性・片務性・不平等性が指摘されています。さらに実際に米国が米兵を適正に処分しているのか疑問があります。

その他、安倍政権の日本人拉致事件を中心とする対北朝鮮外交の問題をただしました。安倍首相は小泉政権・内閣官房副長官時代から北朝鮮による日本人拉致事件の交渉に関与していましたが、現在まで拉致事件解決に向けた進展はなく、核・ミサイルなどの対北朝鮮外交も動きがありません。安倍首相が鼓吹する対北硬論に何ら有効性がないことは明白であり、早急な方針転換を求めました。

平成29年7月14日 法政大学沖縄文化研究所総合講座「沖縄を考える」第14講

法政大学沖縄文化研究所総合講座「沖縄を考える」第14講「沖縄の街と建築」(講師:福村俊治氏)を聴講しました。

戦前の沖縄には、首里王府の歴史的建造物や文化遺産、あるいは赤瓦に象徴される自然と一体となった美しい伝統的な街並みが残っていましたが、沖縄戦と米軍による占領統治により破壊され、さらに戦後復興により変化していきました。

在沖米軍基地は沖縄の高台で地盤の安定した平地に立地しており、米軍の占領によって沖縄の人々はそれ以外の地に市街地を造らざるをえませんでした。下の画像は沖縄県が公開する沖縄県沖縄市に立地する在沖米海・空軍基地キャンプ・シールズの空撮写真ですが(http://www.pref.okinawa.jp/site/chijiko/kichitai/1214.html)、基地内には豊かな緑と地形に沿ったゆったりとした住宅・施設があり、基地の外は住宅や商業施設が密集していることは一目見ても明らかです。基地の集中は沖縄の街づくりの阻害要因となっています。

同時に、沖縄では、復興と高度経済成長によりコンクリート造りの画一的な建築が大量に出現しました。こうしたことは沖縄に限ったことではないですが、諸外国と比べ日本の街並みの無個性さが象徴的にあらわれています。

講師は長く設計業に携わり、沖縄の公共施設の設計などにも関わっている立場から、沖縄の伝統的な建築思想を生かした家づくり・街づくりを提唱されており、拝聴しました。

なお、2017年度法政大学沖縄文化研究所総合講座「沖縄を考える」前期は今回で閉講となり、後期は9月後半より開講となります。

『JAPAN GRAPH』7号沖縄編 出版記念写真展

花瑛塾第9次沖縄派遣団は13日、平敷兼七ギャラリー(沖縄県浦添市)にて開催中の『JAPAN GRAPH』7号沖縄編の出版記念写真展(7月5〜17日)を見学しました。

森善之編『JAPAN GRAPH 07/47 沖縄 暮らしの中にある47の日本』(七雲、2017年)は、日本各地の風景や人々の生活を写した写真集の沖縄編で、沖縄本島だけでなく宮古諸島・八重山諸島など離島も含め、沖縄の風景や伝統芸能、特産品や人々の生活を写し出しています。

ギャラリーでは同書にも収載されている写真を鑑賞し、沖縄の文化や風土を感じることができました。

なお、平敷兼七氏とは戦後の沖縄で活躍した写真家で、時代に翻弄される人々、特に社会の最下層に位置づけられてしまう人々の姿を撮影し続けた人物です。