戦後神道界と沖縄─昭和30年代沖縄「島ぐるみ闘争」に呼応した葦津珍彦と青年神道家たち

 「神社界の弁護士」「神道の社会的防衛者」を自任する葦津珍彦は、神社本庁の機関紙であり神社界を代表するメディアたる「神社新報」の主筆を務め、同紙にて多くの記事や論考を執筆した。

葦津珍彦と沖縄「島ぐるみ闘争」

 葦津はまた「神社新報」紙上において、「時局展望」なるコラムを長期間にわたって連載していた。昭和30年代、その「時局展望」(昭和31年[1956]6月30日付「神社新報」)において、葦津は「沖縄の同胞は起ち上がった 祖先の墓地はゴルフ場に」との記事を執筆し、この頃沖縄で発表された米軍基地に関する「プライス勧告」と、プライス勧告に抵抗するため沖縄で展開された「島ぐるみ闘争」について触れている。

葦津珍彦

 葦津は、沖縄では既に4万エーカーの土地が米軍基地として接収され、5万戸25万人の人々が土地を失ったとし、さらにこのたびの「プライス勧告」によって米軍基地の新規接収・拡大が認められ、その接収地の地代を一括払い、つまり事実上の買い上げ(固定化)が目指されていることについて、「アメリカ人の土地利用は、余りにも乱暴で贅沢すぎる」「島民としては到底きかれない勧告である」と米軍の横暴に憤り、沖縄の人々の過酷な状況へ思いを寄せている。

 なかでも葦津は神道家として、沖縄における伝統的祖先祭祀の要である「墓」に着目し、これらの墓が接収され改葬する間も無くブルトーザーで潰されていくことに深い同情を寄せている。そして墓が潰され、「痛恨の情、禁じがたい島民の目の前には、広々としたゴルフリンクやテニスコートや娯楽用のドライヴ・ウエーまでが造られて行く」と沖縄の現状を告発している。

 また葦津は、記事執筆の10年前に沖縄で戦われた熾烈な沖縄戦を紹介し、日本軍が沖縄の人々を過酷な状況に追いやったことに触れつつ、「この島の人たちは、文字どほり死力を尽くして米軍と戦ひ抜いた人々のみである。それだけにあまい考へはない。抵抗の決意は、沈痛にして強固である」とし、「島ぐるみ闘争」へ敬意を表す。

 他方、この頃、キプロスで流血の事態となった反英運動と比較し、沖縄の戦いは左右すべての組織が党派色を出さず、米国人個人を恨むものではないことを徹底していることを評価し、そうした「静かなる抵抗」の根底にある祖国復帰の念を取り上げた上で、「十年前に、女も子供も手榴弾をもって死守抵抗した同胞たちが、今や再び起ち上がった。だが今度は身に寸鉄をおびずして、ただ精神のみによる抵抗を決意してゐる」「かつての戦争では、沖縄の同胞を救援し得なかった日本政府も、今度こそは義務を果たすべきである。日本国民の人権を保護することは日本政府の当然の義務である」と結ぶ。

葦津珍彦と瀬長亀次郎

 葦津の沖縄への関心はこれに留まるものではない。それから1年半後、葦津は再び「時局展望」(昭和33年1月25日付「神社新報」)において沖縄関連の記事を執筆している。記事の見出しは「那覇市長選で反米派勝つ 試験される米国の自由精神」。沖縄人民党瀬長亀次郎と那覇市長選挙について紹介する。

瀬長亀次郎・兼次佐一と沖縄県民の怒りを論じる葦津

 昭和31年、沖縄人民党瀬長亀次郎が那覇市長となると、米軍は琉球銀行を通じて経済面で瀬長市政を妨害したばかりか、瀬長追放のための様々な策動を行い、ついに瀬長を失脚せしめた。そして昭和33年、後継市長を選ぶ選挙が行われると、米軍は露骨に反瀬長候補である社会大衆党平良辰雄を支持したのであったが、那覇市民は瀬長後継候補である兼次佐一を選び、兼次が市長に就任したのであった。

 葦津はこれについて「アメリカ人の心理作戦は、どこまでも可笑しい。選挙選のさなかに琉球銀行の総裁に声明させた。『もしも平良氏が、兼次氏を破って当選すれば、銀行は平良市長を援けてやる用意がある』といふのである。これは全くの逆効果をまねいた。(略)那覇市民の意志は、極めてはっきりと示された」とする。

 その上で葦津は瀬長市政を支え、その後継候補である兼次を市長に選出した那覇市民について、「米国に追従する市長ならば、却って市政は有利になるだらう。市民にも、それが分からないのではない。しかし市民は“合理的な計算”に反して兼次氏を勝たせたのである」として、米軍の横暴に抵抗し、米軍支配から脱却しようとする那覇市民そして沖縄県民の怒りはついに「合理的計算」を凌駕する域に達し、米軍を追いつめつつあるというのである。

 葦津はいう、「アメリカは、最後の決断を、せまられてゐる。沖縄の市民は、あくまでも抵抗する決意を、世界の前に重ねて表明したのである」「アメリカは、暴力的な流血政策をとらないかぎり、もはや市民を服従させる手段を見出し得ないところまで追ひこまれて来た」「われわれは、アメリカの自由を尊ぶ伝統の良識が、施政権返還へ大きくふみきることを、切に期待するものである」と。

 こうした葦津の分析は適確であり、その言には沖縄県民が置かれた悲痛な境遇への深い思いやりと心からの敬意が込められている。米軍はけして沖縄の怒りを抑えきることはできないし、米国が自由と民主主義の国である以上、沖縄の民意を尊重しなければならない─この葦津の主張は、現在においてなお意味を持つものである。

沖縄に呼応した青年神道家たち

 神道界の沖縄への強い関心や思い入れは、葦津一人に限られるものではない。

沖縄関連の記事が多数掲載されている昭和30年代の「神社新報」

 青年神道家の全国組織である神道青年全国協議会は昭和30年、その機関紙において「沖縄が米軍政下におかれ全島基地化が進行し10年、我々は我々の矢面に立ち犠牲となった沖縄にどれだけのことができたか」「不当の苦悩を負はされ、呻吟の日々を送る同胞七十万に対して手をつかねてゐて何の祖国復興、道義の恢復であらうか」「土地収用にからむ沖縄の人権問題に関しても、米国人の一弁護士からの指摘によって、初めて本土でこれを取り上げるといった不見識は、速やかに清算されねばならない」と述べ、米軍による土地の強奪と基地建設の強行に苦しめられている沖縄に思いを寄せている。

 また沖縄では昭和31年、先ほど紹介したプライス勧告に抵抗する「島ぐるみ闘争」が燃え上がるが、神道青年全国協議会はこの沖縄の闘いに呼応し、日本政府や米軍への要請・要請を行うことを決議している。さらに先だってお亡くなりになった翁長雄志前沖縄県知事の父で当時旧真和志市長であった翁長助静(じょせい)氏を招いて沖縄の現状を伺ったと当時の「神社新報」が報じている。

 現在、「米軍基地はもともとは何もないところに建設されたのだ」といったデマが流布されたり、「中国の脅威に対抗するためには沖縄に米軍基地があるのは仕方ない」といった言説が、「保守」の側から発信され、「保守」こそが米軍基地建設の推進役となり、沖縄への基地負担の増加や固定化を担っている。また沖縄戦の歴史修正が進み、日本軍による沖縄住民への迫害が否定され、沖縄住民が率先して沖縄を「救援」にきた軍に「協力」したという言説すら、「保守」の側からなされている。

 昭和30年代の神道家たちは、沖縄への深い思いと敬意があった。沖縄戦と基地問題に対してしっかりとした認識があった。日本政府の冷酷な沖縄への仕打ちを理解せず、心を寄せられない人々が「保守」などと名乗る現状に、葦津や当時の青年神道家の沖縄論をもって抗していきたい。

平成30年12月15日 花瑛塾第16次沖縄派遣団⑨(辺野古新基地・北部訓練場)

 花瑛塾第16次沖縄派遣団は15日、昨日に引き続き有志による抗議船に乗船し、新基地建設のため土砂投入が行われている辺野古沖・大浦湾へ出港して抗議活動を行いました。

抗議船での抗議の様子(大浦湾K9護岸付近)

 14日、政府は辺野古沖N3護岸へ土砂投入を開始しました。歴史的暴挙・歴史的愚行であり、心からの怒りを込めて糾弾します。一方で、土砂投入によって自然や生物に対して取り返しのつかないダメージを与えてしまいましたが、新基地建設全体としてはまったく進展しておらず、土砂投入は政府による「諦めムード」の醸成のためのパフォーマンスに他なりません。

 岩屋毅防衛大臣は土砂投入の開始について「辺野古新基地建設は日米同盟のためではなく日本国民のため」との趣旨の発言をしました。しかしそれは事実でしょうか。昭和41年(1966)の時点において、米軍は現在の辺野古新基地にそっくりな辺野古沖滑走路建設計画を有していました。普天間飛行場の「移設」の名の下、米軍の整理・統合・強化を実現しようとしているのが96年SACO合意に他ならず、辺野古新基地建設は日本国民のためではなく米軍のためにあるのです。そもそも沖縄県民を泣かせて何が「国民のため」なのでしょうか。

昭和41年の米軍の辺野古沖滑走路計画

 新基地の建設期間について、沖縄県は今後13年もの年月がかかるとの試算を行っています。防衛省も新基地の建設期間について、明言を避けています。つまり竣工まで相当な年月がかかると予測されるのであり、まだまだ新基地建設を撤回させることは可能です。今後とも不撓不屈の精神で抗議を続けていきます。

 またこの日、米海兵隊演習場北部訓練場でも各ヘリパッドを結ぶ進入路の舗装・拡幅工事などヘリパッド関連工事が再開したため、昨日に引き続き抗議活動を行いました。

北部訓練場での抗議行動

 辺野古新基地と北部訓練場はリンクしており、今後オスプレイなどを用いて辺野古・高江・伊江島など沖縄北部を中心に激しい米海兵隊の演習が行われることになります。

 そもそも米海兵隊は日本「本土」に配備されていましたが、50年代の「本土」での反対運動の高まりもあって沖縄に移転していきました。さらにいま、沖縄内部で米軍基地が沖縄中南部から北部へと移転・集中しようとしています。50年代の移転によって基地負担は「本土」において不可視のものとなり、さらに今後の基地の移転・集中によって沖縄内部でも不可視のものとなります。

 しかし基地負担は消滅したわけではなく、沖縄北部にこれまで以上にのしかかるのであり、「本土」の人々はこれに対して応える歴史的責任があるのではないでしょうか。

 防衛省は住民の民意を無視するばかりか、自然を破壊して他国軍に国土を提供していますが、それのどこが「防衛」なのでしょうか。これはむしろ政府・防衛省による沖縄への「攻撃」「侵略」といえます。沖縄戦で日本軍がどれほど住民を圧迫したのか。自国の歴史を顧みることなく防衛政策を進めてはなりません。

平成30年12月14日 花瑛塾第16次沖縄派遣団⑧(辺野古・北部訓練場)

 辺野古新基地建設に関し、政府が沖縄県に辺野古沖への土砂投入を通知している14日、花瑛塾第16次沖縄派遣団は有志による抗議船に乗船し、辺野古沖にて土砂投入の阻止行動を行いました。

 土砂投入地は、辺野古崎から辺野古沖南護岸(K4護岸)につながる中仕切護岸であるN3護岸です。土砂投入の大まかな作業順序としては、琉球セメント桟橋で土砂を積み込んだ運搬船が大浦湾のK9護岸付近まで移動し、そこで土砂をランプウェイ台船に積み替え、さらに土砂を陸揚げし、そこからダンプカーでN3護岸まで運搬され、土砂が投入されます。

土砂投入地点と土砂積替・陸揚地点(朝日新聞2018.12.13配信記事の画像をもとに作成)

 14日は早朝より多くの市民がキャンプ・シュワブ前に集まり、抗議の声をあげました。また辺野古浜からは市民がカヌーに乗ってN3護岸周辺などで抗議した他、大浦湾からは抗議船が出航し抗議行動を展開しました。花瑛塾も抗議船に乗船し抗議行動を行いましたが、政府はついに14日11時土砂投入を開始しました。

N3護岸に土砂を投下する工事車両

 ダンプカーが岩ずりとは名ばかりの赤土をダンプアップして投下し、これをブルドーザーが海中に落とし込む。そしてこの作業をフロート内で海上保安庁の巡視艇が警備し、抗議の市民に退去を呼びかけ威圧する。まさしく米軍が沖縄の人々を追い払い、強制的に土地や家屋を接収し軍事基地を建設していった「銃剣とブルドーザー」の現代版に他ならないといえます。

 そうとはいえ、警備にあたる海保職員や警察官、あるいは工事業者や基地従業員に怒りの矛先を向けてはいけません。彼らの威圧的・暴力的な姿勢に憤りを覚えることは当然の感情であり、違法な取り締まりや工事を許してはなりませんが、彼らの多くがうちなんちゅうであることも事実であり、基地を押しつけられた島で必死に生きているのです。基地さえ政府が押しつけていなければ、彼らはこのような仕事をすることはなかったはずです。

フロート内で警戒する海保警備艇と職員

 うちなんちゅうがうちなんちゅうに怒りの矛先を向け、いがみあう。この構図にこそ政府は付け込んでくるのであり、これこそ翁長前知事が恐れ、嫌ったものです。この対立と分断は誰かが沖縄に持ち込んでいるものです。心優しきうちなんちゅう同士の対立を、高見から眺め「沖縄の人は喧嘩ばかりしているね。お金でも欲しいのかな?」と嘲笑うやつがいる。それは誰なのか。その者にこそ怒りをたたきつけていく必要があります。

 花瑛塾としては土砂投入を阻止することができず、大変悔しくまた沖縄の人々に申し訳ない思いです。そして土砂投入の犠牲となる自然や生き物たちを守れず責任を痛感し、我が非力を恨むばかりです。

 しかし今回の埋立工区の土砂投入ですら、完了するまで相当の時間がかかり、仮に埋め立てが完工してもそれは全体のうちのわずかな面積に過ぎません。本部港塩川地区はいまだ使用不可能な状況にあり、政府が違法な手続きで強行した琉球セメント桟橋を使用した土砂積込・搬出も、いつまでも続けることは難しいでしょう。さらに今後はN値ゼロといわれる大浦湾側の超軟弱地盤の改良も必要となり、全体として辺野古新基地建設は破綻しているといって過言ではありません。

辺野古新基地建設の全体図(「世界」2018年10月号より)

 諦めさせることが政府の狙いであり、花瑛塾は引き続き新基地建設反対を訴えていきたいと思います。

 また東村高江を取り囲むように建設された北部訓練場のヘリパッド工事に関連し、各ヘリパッドを結ぶ進入路などの関連工事が21日着工されると報じられましたが、この日より早速土砂が北部訓練場N1表ゲートから搬入されるなど、準備がはじまりました。

北部訓練場メインゲートでの抗議行動

 辺野古新基地と北部訓練場が同一の問題であるということは、これまで説明してきた通りです。本土から沖縄へ、そして沖縄中南部から沖縄北部へ、基地負担は移転・集中し、そして不可視化されていきます。気づかぬあいだに、沖縄北部を中心に沖縄全体が基地負担軽減どころか恐るべき米軍の要塞となっているのです。

 辺野古での抗議とともに、この日北部訓練場前で抗議活動を行いました。この問題について今後とも訴えていきたいと思います。

当塾副長・仲村之菊が朝日新聞(西部本社版)に取り上げられました

 新基地建設に関する辺野古沖埋め立てのための土砂投入が目前に迫るなか、沖縄に滞在し、辺野古新基地問題や北部訓練場ヘリパッド問題など沖縄の米軍基地問題に取り組んでいる当塾副長・仲村之菊が「朝日新聞(西部本社[山口・九州・沖縄]版)」13日朝刊に取り上げられました。

 本記事は西部本社版紙面の他、朝日新聞デジタルでも読むことができます。どうぞご購読下さい。

 

辺野古沖土砂投入を明日14日に控え、首相官邸前にて土砂投入の撤回と沖縄の基地負担軽減を求めました

 花瑛塾行動隊は13日、辺野古新基地建設に関する政府による辺野古沖土砂投入を目前に控え、総理大臣官邸周辺(内閣府下交差点)において、政府に対し沖縄県に通知している14日の土砂投入の撤回と、面談を求めているデニー沖縄県知事との真剣で前向きな話し合い、そして沖縄の基地負担軽減を求めました。

首相官邸での抗議の様子

 森本元防衛大臣や中谷元防衛大臣は、普天間飛行場の「移設」先が辺野古でなければならない軍事的・地理的必然性はないとしてます。米軍もまた辺野古という場所そのものに軍事的・地理的必然性を見ているわけではありません。

 それではなぜ辺野古に新基地が建設されようとしているのか。それはまさしく安倍首相自身が明言したように、政治的理由によります。つまり地域住民の反発といった理由から「本土」に新たに基地を建設することは事実上不可能であり、そのために辺野古での新基地建設が進められているのです。

 普天間飛行場の代替施設は必要なのか。万一必要だとして、それは本当に辺野古でなければならないのか。日米安保による「抑止力」の恩恵は「本土」が得ながら、沖縄の人々に暴力を振るい札束で頬を張り倒すような真似をして「抑止力」の対価の基地負担は沖縄に押しつける。このようなことを許してはなりません。

 土砂投入が行われれば環境に大きなダメージを与えます。政府は明日14日の土砂投入を撤回し、デニー知事と話し合いを行い、沖縄の基地負担軽減はどのようにすれば実現できるか、再考するべきです。

 沖縄防衛局による琉球セメント桟橋を使用した土砂の積込・搬出が開始された12月3日の翌日から今日まで、官邸前で連続して行ってきた抗議行動はこれで一時中断し、明日14日より土砂投入を阻止するため辺野古現地にて行動する予定です(なお市民による抗議行動は明日も官邸前などで行われるとのことです)。

平成30年12月12日 花瑛塾第16次沖縄派遣団⑦(北部訓練場返還地探索など)

 花瑛塾第16次沖縄派遣団は12日、沖縄県東村・国頭村に立地する米海兵隊北部訓練場メインゲート前において、昨日に引き続き語りがけを行いました。

北部訓練場メインゲート前でのアピール(撮影:宮城秋乃氏)

 辺野古新基地建設に関する辺野古沖への土砂投入が目前に迫っていますが、96年SACO合意に基づき新基地が建設される辺野古と、同じくSACO合意に基づきヘリパッドが建設され基地機能が強化された北部訓練場は、その本質において同一のものです。そして辺野古新基地が建設されれば北部訓練場は一体的に運用され、沖縄北部の基地負担が上昇することは目に見えています。

 実際に北部訓練場では今月21日よりオスプレイが離発着するためのヘリパッドを結ぶ進入路の舗装工事などが開始される予定となっています。伊江島でもF35B戦闘機が離発着する施設が建設されるなど、「本土」から沖縄へ、そして沖縄内部で中南部から北部へ、基地負担は移転・集中し、不可視化されつつあります。

 今後とも辺野古の問題とともに北部訓練場の問題も訴えていく予定す。

 北部訓練場メインゲート前でのアピール後、2年前に返還された北部訓練場の返還地をチョウ類研究者の宮城秋乃氏と探索し、米軍が廃棄したと思われるレーション(携行糧食)、瓶や缶、照明弾(信号弾か?)などを回収しました。

北部訓練場返還地で発見された米軍が廃棄したと思われる物品(撮影:宮城秋乃氏)

 沖縄防衛局は北部訓練場の返還地について、廃棄物の撤去と環境汚染の除去を行ったとしてますが、返還地を少し歩くだけで米軍関連の廃棄物や空包、薬きょうなどが発見されます。また返還地の水源近くではDDTが検出されるなど、返還されてなお米軍基地は人々を苦しめています。

琉球セメント桟橋を使用した違法な土砂積込・搬出作業と14日に予定されている辺野古沖土砂投入の撤回を求めました

 花瑛塾行動隊は11日および12日、新基地建設のために辺野古沖を埋め立てる土砂の投入が目前に迫る中、首相官邸周辺で琉球セメント桟橋を使用した違法な土砂積込・搬出作業と土砂投入の撤回を訴えました。

首相官邸での抗議の様子(11日)

 そもそも政府は、辺野古新基地建設などは日米で合意された沖縄の基地負担軽減のための取り組みとしますが、それは事実なのでしょうか。

 95年に沖縄で発生した米海兵隊員による少女暴行事件という痛ましい出来事を契機とし、翌96年に普天間飛行場の閉鎖と「移設」、あるいは北部訓練場の過半の返還などが盛り込まれた日米合意「SACO合意」が取り決められました。これにより政府は沖縄の基地負担が軽減されるとしましたが、実際には普天間飛行場の「移設」の名目で辺野古沖に最新鋭の巨大新基地が建設されることになったのであり、北部訓練場にはオスプレイの離発着が可能なヘリパッドが6箇所も建設されることによってより実践的で危険な演習地へ変貌を遂げることになりました。

 つまり日米両政府は、沖縄の基地負担軽減の名によるSACO合意によって、在沖米軍の基地機能の強化を推し進めたのであり、沖縄の基地負担は軽減されるどころかむしろ増加することになりました。これは少女暴行事件を政治的に利用した許されざる行為です。

官邸前での抗議の様子(12日)

 「SACO合意とは何か」「96年以降沖縄の米軍で何が起きているのか」「世界的な米軍再編の中で沖縄の基地が果たす役割とは何か」といった大きな視点から辺野古新基地建設の問題を見ていくことも時に必要かと思います。

 なお、11日および12日は、お昼より首相官邸周辺で沖縄選出参院議員による会派「沖縄の風」の伊波洋一議員と糸数慶子議員の呼びかけによる抗議も行われ、12日から14日まで同じく官邸前で市民の座り込みが行われる予定です。また防衛省前など都内各地、そして全国各地で抗議の声があがっています。

辺野古新基地建設の問題点を訴える伊波議員(12日)

 花瑛塾は13日も官邸前での行動を継続し、14日以降は沖縄現地で阻止行動を行う予定です。

平成30年12月11日 花瑛塾第16次沖縄派遣団⑥(北部訓練場前アピール)

 花瑛塾第16次沖縄派遣団は11日、米海兵隊北部訓練場(東村・国頭村)メインゲート前において訴えがけをしました。

 現在、辺野古新基地建設に関する土砂積込・搬出作業が行われ、埋め立てのための土砂投入が目前に迫っています。こうした辺野古新基地建設や2年前に大きな話題となった北部訓練場のヘリパッド建設も、95年に沖縄で発生した米海兵隊員による少女暴行事件という痛ましい事件をきっかけとした日米合意「SACO合意」に基づくものです。

 日本政府はSACO合意によって普天間飛行場が返還され、さらに北部訓練場の過半も返還されるなど、沖縄の基地負担が軽減すると説明しますが、実際には辺野古に最新鋭の巨大新基地が建設され、北部訓練場にもオスプレイが離発着できるヘリパッドが建設されるなど、沖縄全体で見れば米軍基地の基地機能は強化されるのであり、沖縄の基地負担も増加する内容となっています。

 いわば少女暴行事件を政治的に利用し、沖縄の基地負担軽減の美名の下で米軍の基地機能を強化するために様々な策を弄しているのが日本政府であり、少女の尊厳を踏みにじるものです。そうした意味でも北部訓練場と辺野古新基地は一体のものであり、引き続き北部訓練場前でもアピールを続けていく予定です。

北部訓練場メインゲート前にて

平成30年12月10日 花瑛塾第16次沖縄派遣団⑤(北部訓練場前アピール)

 花瑛塾第16次沖縄派遣団は10日、辺野古新基地建設に関する琉球セメント桟橋(名護市)での作業船への土砂積込と辺野古沖への搬出作業が行われなかったこともあり、これまで継続してきた米海兵隊北部訓練場(東村・国頭村)メインゲートでの訴えを行いました。

北部訓練場メインゲート

 辺野古新基地が完成すれば、100機ともいわれる多数のオスプレイが配備されるといわれています。そしてオスプレイは辺野古新基地を飛び立ち、新たにヘリパッドが建設された北部訓練場で飛行・離発着の演習を行うことになります。その意味で辺野古新基地と北部訓練場は一体なのです。

 こうした辺野古新基地建設計画や北部訓練場のヘリパッド建設計画は平成8年(1996)、沖縄の基地負担軽減のための日米合意「SACO合意」で取り決められたものですが、そのSACO合意は辺野古新基地建設と北部訓練場ヘリパッド建設あるいは那覇軍港の移設などに象徴されるように、実際には老朽化した米軍施設の更新やオスプレイの配備、そしてこれまで米軍が計画していた基地建設の実現など、米軍再編の実行と在沖米軍の基地機能を強化するための取り決めであり、沖縄の基地負担軽減とはまったく関係がありません。

 平成7年に発生した米兵による少女暴行事件という痛ましい事件を理由に、「基地負担軽減」の名の下で米軍の基地機能を強化するなど、被害少女の尊厳を蹂躙・冒涜する卑劣で許されざる行為といわざるをえません。

 北部訓練場のヘリパッド建設については、計6箇所のヘリパッド建設が計画されていましたが、ヘリパッドに取り囲まれるかたちとなった東村高江の住民を中心に長期間にわたって反対運動が行われ、政府は2箇所のヘリパッドしか建設できませんでした。しかし2年前、全国から数百人もの機動隊が高江に押し寄せ、反対運動を力で押さえつけて残りすべてのヘリパッドと歩行訓練ルートなどの建設を強行しました。

 こうして建設されたヘリパッドと新たに米軍に提供された宇嘉川河口が結びつき、陸海空一体となったより実践的で危険な演習が可能となっています。北部訓練場周辺住民の負担と危険は、軽減されるどころか増加しているのが現実です。このことは、沖縄に米軍専用施設が集中することにより、「本土」が基地負担を背負うことなく「抑止力」なるものを手に入れることができている日沖関係の問題であるとともに、沖縄中南部の基地負担の軽減と沖縄北部への基地負担の移転・集中という沖縄内部の構造的問題でもあり、一種の差別の構造ともなっています。

 花瑛塾はこれからも辺野古新基地の問題とともに北部訓練場の問題を訴え、日米安保体制そのものの矛盾を追及していく決意です。

政府による辺野古沖埋め立てのための違法な土砂積込・搬出作業の停止と土砂投入通知の撤回を求めました

 花瑛塾行動隊は10日、先週に引き続き首相官邸周辺(内閣府下交差点)において、政府・沖縄防衛局による辺野古沖埋め立てのための琉球セメント桟橋を使用した違法な土砂積込・搬出作業の完全な停止と、今月14日の土砂投入通知の撤回を求めました。

 琉球セメント桟橋を使用した作業船への土砂積込・搬出は今月3日からはじまりました。しかし同日、沖縄県は桟橋の設置完了届が提出されていないことや、積込・搬出のために桟橋付近に仮置きした土砂が県の赤土等流出防止条例に適合した必要な措置が取られていないなど手続きの不備と違法性を指摘し、琉球セメント桟橋への立ち入り検査を求めたため、作業はその日のうちに中断しました。

 ところが琉球セメントは、あわてて桟橋の設置完了届を提出し、沖縄県による立ち入り検査までの作業中止を無視し、さらに仮置き土砂を使用せず直接鉱山から土砂を作業船に積み込めば赤土等流出防止条例に適合する措置は必要ないとして、5日から作業を再開させました。

 政府・沖縄防衛局はこれまでも辺野古新基地建設について法令解釈の強引な変更や手続きの踏み倒しを繰り返して作業を進めてきました。このことは民主主義や法の支配の原則から逸脱するものであり、到底許されません。そして政府の防衛政策そのものへの不信を生む可能性もあり、防衛や抑止力あるいは安全保障の観点からもあってはならないことです。

 政府はただちに違法な作業を中止し、その上で沖縄はもちろん日本全国の民意に耳を傾け、普天間飛行場の代替施設は本当に必要なのか、必要だとしてそれは辺野古あるいは沖縄でなければならないのかということを検討し直す必要があります。

 14日に予定されている土砂投入の状況を見ながら、明日以降も抗議行動を続けていく予定です。

首相官邸至近(内閣府下交差点)での抗議の様子